57代 陽成(ようぜい)天皇
生没 868年~949年(享年82)
在位 876年(9歳)~884年(17歳)
平安時代
・56代清和天皇の第一皇子、貞明(さだあきら)親王。母は藤原高子(二条后)。
・9歳で即位。藤原基経が摂政となる。
・性格が荒々しく奇行が絶えないといわれることもあり、16歳で皇位を廃された。
・その後は65年間も上皇の座を保つほど長寿であった。
・百人一首13「つくばねの」
57代 陽成(ようぜい)天皇
生没 868年~949年(享年82)
在位 876年(9歳)~884年(17歳)
平安時代
・56代清和天皇の第一皇子、貞明(さだあきら)親王。母は藤原高子(二条后)。
・9歳で即位。藤原基経が摂政となる。
・性格が荒々しく奇行が絶えないといわれることもあり、16歳で皇位を廃された。
・その後は65年間も上皇の座を保つほど長寿であった。
・百人一首13「つくばねの」
56代 清和(せいわ)天皇
生没 850年~880年(享年31)
在位 858年(9歳)~876年(27歳)
平安時代
・55代文徳天皇の第四皇子、惟仁(これひと)親王。
・文徳帝が突然の病で崩御し、清和天皇が9歳で即位。初めての幼帝の登場。
・祖父の藤原良房が実権を握り、「応天門の変(866)」などで対抗勢力を排斥。良房は摂政となり、ここから藤原家の「摂関政治」が幕を開ける。(皇族以外で摂政になったのは良房が初)。
・「貞観格式(じょうがんきゃくしき)」など法整備を行う。
・清和帝は学問を好んだ。
・清和源氏の祖でもある。
・清和天皇は「水尾(みずのお)天皇」ともいう。(『大和物語』では「水尾の帝」という表記)
55代 文徳(もんとく)天皇
生没 827年~858年(享年32)
在位 850年(24歳)~858年(32歳)
平安時代
・54代 仁明天皇の第一皇子、道康(みちやす)親王。母は順子(のぶこ)(藤原良房の妹)。
・仁明帝の崩御により即位。藤原良房が太政大臣となる。
・文徳帝は第一皇子の惟喬(これたか)親王の立太子を望んでいたが、藤原良房の意向で、第四皇子の惟仁(これひと)親王が生後8カ月で皇太子となった。(56代 清和天皇)(惟仁親王は、良房の娘・明子と文徳帝との子)
・文徳天皇の第一皇子・惟喬親王と在原業平は親交が深く、共に和歌を詠み合ったことなどが『伊勢物語』に残る。
54代 仁明(にんみょう)天皇
生没 810年~850年(享年41)
在位 833年(24歳)~850年(41歳)
平安時代
・嵯峨天皇の第二皇子、正良(まさら)親王が、叔父の53代淳和(じゅんな)天皇からの譲位で即位。(仁明天皇)
・皇太子には、53代淳和天皇の子、恒貞(つねさだ)親王がなっていたが、橘逸勢とともに謀反の疑いありとして廃された。(承和の変/じょうわのへん・842).
藤原良房(仁明帝の皇后・順子(のぶこ)の兄)の画策であった。仁明帝の子の道康親王(55代文徳天皇)が皇太子となった。
・小野小町が更衣となった。
____冬嗣
嵯峨 _|_
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仁明=順子 良房
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文徳= 明子
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清和
53代 淳和(じゅんな)天皇
生没 786年~840年(享年55)
在位 823年(38歳)~833年(48歳)
平安時代
・桓武天皇の第七皇子、大伴(おおとも)親王。兄の53代嵯峨天皇から譲位されて即位した。
(→「大伴」氏が天皇と同じ名は畏れ多いとして「伴(とも)」に改名。)
・人民が疲弊していると報告を聞き、大嘗会の神事を派手にせず倹約に努めた。淳和帝の時代は政治が非常に安定した。
・『日本後紀(にほんこうき)』を編纂。(「六国史」の3番目。)
・『経国集(けいこくしゅう)』を編纂。勅撰漢詩文集。良岑安世らが撰進。初の詩文総集。(827)
・『令義解』(りょうのぎげ)を編纂。養老令(ようろうりょう)の解説書。清原夏野らが記す。
(※「令(りょう)」は民法・行政法。「律」は刑法だが、こちらはない。)
・歴代天皇で唯一、散骨した天皇。葬儀の莫大な費用を軽減し、民の負担を減らした。
52代 嵯峨(さが)天皇
生没 786年~842年(享年57)
在位 809年(24歳)~823年(38歳)
平安時代
・桓武天皇の第五皇子、神野(かみの)親王が、兄の平城天皇より譲位され即位。
・平城上皇が挙兵(薬子の変/平成太上天皇の変810)したが、坂上田村麻呂が鎮圧。これにより藤原式家が没落。以後は政局が安定。
・「蔵人頭(くろうどのとう)」(機密文書を扱う天皇秘書)を創設。初代に藤原冬嗣を登用した。(藤原冬嗣は、藤原房前(藤原不比等の次男・北家)の曾孫)。
・「弘仁格式(こうにんきゃくしき)」で、律令の補足・修正が行われた。
・「検非違使(警察・裁判所)」を設置。
・華やかな「弘仁文化」が花開く。中国歴史、漢詩、書道などが発展。
・「三筆」と呼ばれる書の名手であった。(嵯峨天皇、橘逸勢、弘法大師空海)
51代 平城(へいぜい)天皇
生没 774年~824年(享年51)
在位 806年(33歳)~809年(36歳)
平安時代
・50代桓武天皇の第一皇子、安殿(あて)親王。桓武天皇の崩御を受けて即位。
・財政難の立て直しに尽力。
・参議(大臣、納言に次ぐ重職)を廃止し、新たに観察使(国司を監査)を設置するなど、官僚組織を改革した。
・詩文に長け、その詩が『凌雲集』や『古今集』に残る。
・桓武帝の第三皇子、伊予親王が謀反の疑いをかけられ、母・藤原吉子(南家)とともに川原寺(かわらでら)(奈良・明日香村)に幽閉された。2人は毒を仰いで亡くなった。これにより藤原南家が没落。
・后の母である薬子を寵愛し、後に薬子の変(平城太上天皇の変)へとつながる。
・病弱だったため、弟の神野(かみの)親王に譲位。
50代 桓武(かんむ)天皇
生没 737年~806年(享年70)
在位 781年(45歳)~806年(70歳)
平安時代
・光仁天皇の第一皇子、山部親王(やまべしんのう)。
・皇太子には他戸(おさべ)親王が立っていたが、謀反の疑いで廃され、代わりに山部親王が皇太子となる。その後、譲位され即位し、50代桓武天皇となる。
・母は百済からの渡来系氏族の高野新笠(たかのにいがさ)。
・桓武天皇は、皇后・藤原乙牟漏(ふじわらのおとむろ・藤原良継(式家)の娘)の他に、妻が26人、子供が35人いた。
・東北の蝦夷討伐。坂上田村麻呂を征夷大将軍とした。(801~804)
・平城京から長岡京に遷都(784)。藤原種継(宇合(式家)の孫)が造営にあたるが暗殺される。
・藤原種継暗殺の首謀者として、早良親王(桓武帝の弟)を淡路へ配流。早良親王の祟りを恐れて、長岡京から平安京へ遷都(794)。平安時代が始まる。
49代 光仁(こうにん)天皇
生没 709年~781年(享年73)
在位 770年(62歳)~781年(73歳)
奈良時代
・志貴(施基)皇子(38代天智天皇の第七皇子)の第六皇子、白壁王(しらかべおう)が、称徳天皇の崩御により即位。光仁天皇は天智天皇の孫にあたる。
・藤原氏が実権を握るため擁立。これにより天武系から天智系へと変わった。
・皇后は井上(いのえ)内親王(45代聖武天皇の皇女)、皇太子は他部(おさべ)親王。のちに皇后と皇太子は、光仁天皇を呪詛したとの陰謀に巻き込まれ、幽閉・暗殺された。
48代 称徳(しょうとく)天皇
生没 718年~770年(享年53)
在位 764年(47歳)~770年(53歳)
奈良時代
・47代淳仁帝を廃し、46代孝謙天皇が重祚(ちょうそ)して、48代称徳天皇となった。
・年号を「天平神護」と改めた。
・百万塔陀羅尼(ひゃくまんとう・だらに)経典。世界最古の印刷物。藤原仲麻呂の乱の戦没者供養として作られた。(764年)
・僧の道鏡を重用し、政局が混迷したといわれる。
・「道鏡を皇位につければ天下太平になる」というお告げがあったと報告を受けた称徳天皇は、和気清麻呂を宇佐八幡神社(豊後)に使わした。だが、神託は「皇位には必ず皇統の人を立てよ。」というものだった。これにより和気清麻呂は大隅国に左遷された。
47代 淳仁(じゅんにん)天皇
生没 733年~765年(享年33)
在位 758年(26歳)~764年(32歳)
奈良時代
・舎人親王の七男、大炊王(おおいおう)が、藤原仲麻呂の擁立で即位した(淳仁天皇)。40代天武天皇の孫でもある。
・「藤原仲麻呂の乱」(764年)で失脚し、淡路国へと配流され幽閉される。
翌年、逃亡を図るも捕らえられ、その後亡くなった。「淡路廃帝(あわじはいてい)」と呼ばれていたが、明治になって諡号が送られた。
46代 孝謙(こうけん)天皇
生没 718年~770年(享年53)
在位 749年(32歳)~758年(41歳)
奈良時代
・聖武天皇の第一皇女、阿倍内親王(あべないしんのう)。
・初の女性皇太子である阿倍内親王が、45代聖武天皇より譲位されて即位した。
・仏教への信仰心が篤く、「東大寺・盧舎那仏 開眼供養」を行った。(752年)婆羅門僧(ばらもんそう)(インドの僧)の菩提僊那(ぼだいせんな)が大仏の目を点じた。
・政治の実権は、母の光明(こうみょう)皇太后と、その甥の藤原仲麻呂(藤原武智麻呂(南家)の次男・恵美押勝)が主導した。
・国を治める基本は「孝」であるとし、家ごとに「孝経」一巻を所蔵させた。
45代 聖武(しょうむ)天皇
生没 701年~756年(享年56)
在位 724年(24歳)~749年(49歳)
奈良時代
・文武天皇の第一皇子、首(おびと)親王。
・叔母の44代元正天皇から譲位され、24歳で即位した。
・聖武天皇は母・宮子(不比等の娘)に「大夫人(だいぶにん)」の称号を与えたが、左大臣の長屋王がこれを問題視。藤原四子は長屋王に謀反の罪を着せて排斥した。→長屋王の変(729年)
・藤原四子が天然痘で没後は、橘諸兄、吉備真備などが支えた。
・恭仁京(京都)(740年)、難波宮(大阪)(744年)、紫香楽宮(滋賀)(745年)と、三度遷都を繰り返したのち、元の平城京(奈良)に戻る。
・仏教による鎮護国家を願い、諸国に国分寺を建立した。(741年)
・「大仏造立の詔(だいぶつぞうりゅうのみことのり)」(743年)。開眼供養会(752年)
・墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)(743年)を発布。新しく開墾した土地の「永久私有」を認めた。
↓↓
これが貴族や社寺による大規模な土地開発と荘園化を促進し、「公地公民制」の崩壊に繋がった。
44代 元正(げんしょう)天皇
生没 680年~748年(享年69)
在位 715年(36歳)~724年(45歳)
奈良時代
・草壁皇子と43代元明天皇の皇女、氷高皇女(ひだかのひめみこ)。42代文武天皇の姉。
・43代元明天皇から譲位され、即位。(母から娘へ譲位。)
・引き続き、藤原不比等が政権を取る。
・「大宝律令」を改訂して「養老律令」が撰定される(718年)。
・『日本書紀』が完成(720年)。
・「百万町歩 開墾計画(ひゃくまんちょうぶ・かいこんけいかく)」(722年)を実施。人口増加のため、不足した口分田を増やそうとしたが、頓挫した。
・「三世一身法」(723年)で、三代までの墾田の私有を認め、開墾を奨めた。これが荘園の始まりにつながる。
43代 元明天皇(げんめいてんのう)
生没 661年~721年(享年61)
在位 707年(47歳)~715年(55歳)
飛鳥・奈良時代
・天智天皇の第四皇女、阿閇皇女(あへのひめみこ)。
・42代文武天皇が25歳で崩御。第一皇子の首皇子(おびとおうじ)は7歳だったため、文武天皇の母の阿閇皇女が即位し、43代元明天皇となった。
・藤原不比等が実権を握る。
・武蔵国から和銅が献上された。「和同開珎」を鋳造した。(708年)
・藤原京から平城京へ遷都(710年)。奈良時代が始まる。
・『古事記』が編纂され献上された。(712年)
40代 文武天皇(もんむてんのう)
生没 683年~707年(享年25)
在位 697年(15歳)~707年(25歳)
飛鳥時代
・草壁皇子の第一皇子、軽皇子(かるのみこ)が15歳で即位。
・40代天武天皇と、41代持統天皇の孫にあたる。
・持統天皇は譲位後、文武帝の後見として補佐。初の「太上天皇(上皇)」となった。
・日本初の律令である「大宝律令」の制定(701年・大宝元年)などが行われた。
・文武天皇の夫人は藤原不比等の娘・宮子。ここから藤原氏の躍進が始まる。
・役小角(えんのおづぬ)を伊豆に流した(699年・文武三年)。「修験道の開祖」といわれた役行者(えんのぎょうじゃ)で、呪術で世人を妖惑したと流罪になった。
・文武天皇はゆったりとした性格で、怒りを外に表すことがなかったという。
41代 持統天皇(じとうてんのう)
生没 645年~702年(享年58)
在位 690年(46歳)~697年(58歳)
<称制(皇后のまま政治を執る)686年(42歳)~689年(45歳)>
飛鳥時代
・38代天智天皇の第二皇女であり、40代天武天皇の皇后でもある、鸕野讃良(うののさらら)皇女。
・天武天皇の崩御後、皇后のまま政治をした。(称制)
・後継ぎの草壁皇子が早逝。のちの三種の神器となる、剣と鏡をたてまつって即位した。
・夫の天武天皇の事績を継いで、「飛鳥浄御原律令(あすかきよみはられい)」を施行。
・藤原京(日本初の条坊制を採用した都城)へ遷都。
・皇太子(42代文武天皇)に位を譲り、初の上皇となる。
40代 天武天皇(てんむてんのう)
生没 631年~686年(享年56)
在位 673年(43歳)~686年(56歳)
飛鳥時代
・38代天智天皇の弟、大海人皇子。父は舒明天皇、母は皇極・斉明天皇。(第二皇子)
・「壬申の乱(672)」で大友皇子(39代弘文天皇)を倒し、即位した。
・都を近江(滋賀)から「飛鳥浄御原宮(あすかのきよみはらのみや)」(奈良・明日香村)に戻す。以降、40代天武天皇・41代持統天皇と2代に渡って、政治の中心地となる。
・初めて「天皇」の称号や「日本」の国号を使用した。
・天皇や皇族が政治を執る「皇親(こうしん)政治」を行い、天皇中心の律令国家を目指した。
・天文や占星術をよく行なった。
・「八色の姓(やくさのかばね)」を制定し、身分秩序を確立。
・『日本書紀』の編纂が開始された。天武天皇の子の舎人親王が任にあたる。
39代 弘文天皇(こうぶんてんのう)
生没 648年~672年(享年25)
在位 671年(24歳)~672年(25歳)
飛鳥時代
・38代天智天皇の第一皇子、大友皇子。
・「壬申の乱(672)」で、叔父の大海人皇子に敗れる。
・『日本書紀』には即位の記載がなく、明治時代に弘文天皇の諡号(しごう)が贈られた。
※諡号(しごう)・・貴人、僧侶の死後、その人の生前の行ないをほめたたえておくる名。おくり名。
38代 天智天皇(てんじてんのう)
生没 626年~671年(享年46)
在位 668年(43歳)~671年(46歳)
飛鳥時代
・舒明天皇と皇極天皇の第一皇子、中大兄皇子。
・中大兄皇子は即位の儀を行うことなく政務についた。(称制:即位せず政務を行うこと)。(即位したのは斉明天皇の崩御から7年後。)
・大化の改新(中央集権化)を進める。
・滅亡した百済を復興させようと、白村江の戦い(663)に臨んだが敗れた。国防を強化。各地に山城を築き、筑紫に防人を置く。
・飛鳥(奈良)から、内陸の近江(滋賀)に遷都した。(現・近江神宮)
・漏刻(ろうこく)(水時計)をつくり、時間を知らせた。
・「庚午年籍(こうごねんじゃく)」(日本初の戸籍)を作成。(現存せず)
・百人一首「秋の田の」(1)