tennounote01net – ページ 5 – 天皇note

120代 仁孝(にんこう)天皇 (位1817-1846)

120代 仁孝天皇(にんこう)

生没 1800年~1846年(享年47)
在位 1817年(18歳)~1846年(47歳)

江戸時代

・父・119代光格天皇の譲位を受けて18歳で即位。

・学問を好み『日本書紀』や和歌の勉強会を催す。

・平安時代の「大学寮」のような教育機関の復活をめざした。生前には実現しなかったが、後に完成し「学習院」の前身になった(1847)

・父の光格帝と同じく、仁孝天皇も古儀の復興に熱心で、58代光孝天皇以来の950年ぶりに諡号(生前の行いを尊んで贈る名)を復活させた。

・アヘン戦争(1840)によって、清(中国)がイギリスの植民地となり、日本にも欧米の艦船がたびたび来るようになった。

 

119代 光格(こうかく)天皇(位1779-1817)

119代 光格(こうかく)天皇

生没 1771年~1840年(享年70)
在位 1779年(9歳)~1817年(47歳)

江戸時代

・118代 後桃園天皇が皇子を残さず早世したため、閑院宮家から光格天皇が即位。

・光格天皇の家系が現代の皇室までつながっている。

・朝廷の権威復活を図る。幕府にも強い態度で臨み、政治領域にも踏み込んでいる。

・円満な人柄で、質素を好んで飾ることを嫌い、民のための任聴を旨とした。

・1782年(天明2年)、天明の大飢饉では、幕府に申し入れて民衆の救済をはかった。

118代 後桃園(ごももぞの)天皇(位1770-1779)

118代 後桃園(ごももぞの)天皇

生没 1758年~1779年(享年22)
在位 1770年(13歳)~1779年(22歳)

江戸時代

・叔母の後桜町天皇(117代)の譲位を受けて13歳で即位。

・当時は徳川十代将軍・家治の時代で、老中・田沼意次が実権を握っていた。幕府は朝廷の経理に直接介入してくるようになる。

・後桃園天皇は22歳の若さで崩御。皇子もいなかったため、閑院宮家の119代光格天皇へ譲位された。

・日記八冊が遺されている。