tennounote01net – ページ 5 – 天皇note

55代 文徳(もんとく)天皇(位850-858)

55代 文徳(もんとく)天皇

生没 827年~858年(享年32)
在位 850年(24歳)~858年(32歳)

平安時代

・54代仁明帝の崩御により即位。文武天皇は、54代仁明帝と藤原良房の妹・順子(のぶこ)との子。

・藤原良房が太政大臣となる。

・文徳帝は第1皇子の惟喬(これたか)親王の立太子を望んでいたが、藤原良房の意向で、良房の娘・明子と文徳帝の子、惟仁(これひと)親王(56代清和天皇)が生後8カ月で皇太子となった。

 

54代 仁明(にんみょう)天皇(位833-850)

54代 仁明(にんみょう)天皇

生没 810年~850年(享年41)
在位 833年(24歳)~850年(41歳)

平安時代

・53代淳和(じゅんな)天皇からの譲位で、嵯峨帝の子、正良(まさら)親王が即位。(仁明天皇)

・皇太子には、53代淳和天皇の子、恒貞(つねさだ)親王がなっていたが、橘逸勢とともに謀反の疑いありとして廃した。(承和の変/じょうわのへん・842)。

代わりに自分の息子の道康親王(55代文徳天皇)を皇太子にした。仁明帝の皇后・順子(のぶこ)の兄、藤原良房が画策したともいわれる。

・小野小町が更衣となった。

 

53代 淳和(じゅんな)天皇(位823-833)

53代 淳和(じゅんな)天皇

生没 786年~840年(享年55)
在位 823年(38歳)~833年(48歳)

平安時代

・兄の53代嵯峨帝から譲位されて即位した。

・『日本後紀(にほんこうき)』を編纂。(「六国史」の3番目。)

・『経国集(けいこくしゅう)』を編纂。勅撰漢詩文集。良岑安世らが撰進。初の詩文総集。(827)

・『令義解』(りょうのぎげ)を編纂。養老令(ようろうりょう)の解説書。清原夏野らが記す。
(※「令(りょう)」は民法・行政法。「律」は刑法だが、こちらはない。)

・歴代天皇で唯一散骨した天皇。葬儀の莫大な費用を軽減し、民の負担を減らした。

52代 嵯峨(さが)天皇(位809-823)

52代 嵯峨(さが)天皇

生没 786年~842年(享年57)
在位 809年(24歳)~823年(38歳)

平安時代

・平城上皇が挙兵したが、坂上田村麻呂に鎮圧(薬子の変・810)させた。以後は政局が安定。

・「蔵人頭(くろうどのとう)」(機密文書を扱う天皇秘書)を創設。初代に藤原冬嗣を登用した。(藤原冬嗣は、藤原房前(藤原四子・次男・北家)の曾孫)。

・「弘仁格式(こうにんきゃくしき)」で、律令の補足・修正が行われた。

・「検非違使(警察・裁判所)」を設置。

・華やかな「弘仁文化」が花開く。中国歴史、漢詩、書道などが発展。

・「三筆」と呼ばれる書の名手であった。(嵯峨天皇、橘逸勢、弘法大師空海)

 

 

51代 平城(へいぜい)天皇(位806-809)

51代 平城(へいぜい)天皇

生没 774年~824年(享年51)
在位 806年(33歳)~809年(36歳)

平安時代

・50代桓武帝の第一皇子。安殿皇子(あてのみこ)。

・財政難の立て直しに尽力。官僚組織を改革した。

・妻の母・薬子に惹かれ、寵愛した。

・病弱だったため、弟の神野(じんの)親王に譲位。

 

50代 桓武(かんむ)天皇(位781-806)

50代 桓武(かんむ)天皇

生没 737年~806年(享年70)
在位 781年(45歳)~806年(70歳)

平安時代

・49代光仁天皇の皇太子の他戸(おさべ)親王が廃され、代わりに山部親王(やまべのしんのう)が皇太子となる。その後、譲位され即位し、50代桓武天皇となる。

・母は百済からの渡来系氏族の高野新笠(たかのにいがさ)。

・桓武天皇は、皇后・藤原乙牟漏(ふじわらのおとむろ・藤原良継(式家)の娘)の他に、妻が26人、子供が35人いた。

・平城京から長岡京に遷都(784)。

・東北の蝦夷討伐。坂上田村麻呂を征夷大将軍とした。(801~804)

・藤原種継暗殺の首謀者として、早良親王を淡路へ配流。早良親王の祟りを恐れて、長岡京から平安京へ遷都(794)。平安時代が始まる。

 

49代 光仁(こうにん)天皇(位770-781)

49代 光仁(こうにん)天皇

生没 709年~781年(享年73)
在位 770年(62歳)~781年(73歳)

奈良時代

・38代天智天皇の孫である白壁王が即位。藤原氏が実権を握るため擁立。

・皇后は井上内親王(45代聖武天皇の皇女)、皇太子は他部(おさべ)親王。のちに皇后と皇太子は、光仁天皇を呪詛したとの陰謀に巻き込まれ、幽閉・暗殺された。

 

 

48代 称徳(しょうとく)天皇(位764-770)※

48代 称徳(しょうとく)天皇

生没 718年~770年(享年53)
在位 764年(47歳)~770年(53歳)

奈良時代

・47代淳仁帝を廃し、46代孝謙天皇が重祚(ちょうそ)して、48代称徳天皇となった。

・百万塔陀羅尼(ひゃくまんとう・だらに)経典。世界最古の印刷物。藤原仲麻呂の乱の戦没者供養として作られた。(764)

・僧の道鏡を重用し、政局が混迷したといわれる。

47代 淳仁(じゅんにん)天皇(位758-764)

47代 淳仁(じゅんにん)天皇

生没 733年~765年(享年33)
在位 758年(26歳)~764年(32歳)

奈良時代

・舎人親王の子の大炊王(おおいおう)が、藤原仲麻呂の擁立で即位(淳仁天皇)。40代天武天皇の孫でもある。

・藤原仲麻呂の乱(764)で失脚し、淡路へと配流される。

翌年、逃亡を図るも捕らえられ、その後病死したと伝わる。「淡路廃帝(あわじはいたい)」と呼ばれていたが、明治になって諡号が送られた。

 

46代 孝謙(こうけん)天皇(位749-758)※

46代 孝謙(こうけん)天皇

生没 718年~770年(享年53)
在位 749年(32歳)~758年(41歳)

奈良時代

・初の女性皇太子である阿倍内親王(あべないしんのう)が、45代聖武天皇より譲位されて即位した。

・仏教への信仰心が篤く、東大寺盧舎那仏 開眼供養も行った。(752)

・政治の実権は、母の光明(こうみょう)皇太后と、その甥の藤原仲麻呂(藤原武智麻呂(南家)の次男・恵美押勝)が主導した。

 

 

45代 聖武(しょうむ)天皇(位724-749)

45代 聖武(しょうむ)天皇

生没 701年~756年(享年56)
在位 724年(24歳)~749年(49歳)

奈良時代

・叔母の44代元正天皇から譲位され、24歳で即位した。

・聖武天皇は母・宮子(不比等の娘)に「大夫人(だいぶにん)」の称号を与えたが、左大臣の長屋王がこれを問題視。藤原四子は長屋王に謀反の罪を着せて排斥した。→長屋王の変(729)

・藤原四子が天然痘で没後は、橘諸兄、吉備真備などが支えた。

・恭仁京(京都)(740)、難波宮(大阪)(744)、紫香楽宮(滋賀)(745)と、三度遷都を繰り返したのち、元の平城京(奈良)に戻る。

・仏教による鎮護国家を願い、諸国に国分寺を建立した。(741)

・「大仏造立の詔(だいぶつぞうりゅうのみことのり)」(743)。開眼供養会(752)

・墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)(743)を発布。新しく開墾した土地の「永久私有」を認めた。
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これが貴族や社寺による大規模な土地開発と荘園化を促進し、「公地公民制」の崩壊に繋がった。

 

44代 元正(げんしょう)天皇(位715-724)※

44代 元正(げんしょう)天皇

生没 680年~748年(享年69)
在位 715年(36歳)~724年(45歳)

奈良時代

・43代元明天皇から譲位され、皇女の氷高皇女(ひだかのひめみこ)が即位。(42代文武天皇の姉。母から娘へ譲位された。)

・引き続き、藤原不比等が政権を取る。

・「大宝律令」を改訂して「養老律令」が撰定される(718)。

・『日本書紀』が完成(720)。

・「百万町歩 開墾計画(ひゃくまんちょうぶ・かいこんけいかく)」(722)を実施。人口増加のため、不足した口分田を増やそうとしたが、頓挫した。

・「三世一身法」(723)で、三代までの墾田の私有を認め、開墾を奨めた。これが荘園の始まりにつながる。

 

43代 元明(げんめい)天皇(位707-721)※

43代 元明天皇(げんめいてんのう)

生没 661年~721年(享年61)
在位 707年(47歳)~715年(55歳)

飛鳥・奈良時代

・文武天皇が25歳で崩御。第一皇子の首皇子(おびとおうじ)は7歳だったため、42代文武天皇の母の阿閇皇女(あへのひめみこ)が即位し、43代元明天皇となった。

・藤原不比等が実権を握る。

・武蔵国から和銅が献上された。「和同開珎」を鋳造した。(708)

・藤原京から平城京へ遷都(710)。奈良時代が始まる。

・『古事記』が編纂され献上された。(712)

 

42代 文武(もんむ)天皇(位697-707)

40代 文武天皇(もんむてんのう)

生没 683年~707年(享年25)
在位 697年(15歳)~707年(25歳)

飛鳥時代

・軽皇子(かるのみこ)。15歳で即位。40代天武天皇と41代持統天皇の孫。

・持統天皇は譲位後、文武の後見として補佐。日本初の律令である「大宝律令」の制定(701)などが行われた。

・文武天皇の夫人は藤原不比等の娘・宮子。ここから藤原氏の躍進が始まる。

 

41代 持統(じとう)天皇(位690-689)※

41代 持統天皇(じとうてんのう)

生没 645年~702年(享年58)
在位 690年(46歳)~697年(58歳)

称制(皇后のまま政治を執る)686(42歳)~689(45歳)

飛鳥時代

・38代天智天皇の娘。40代天武天皇の皇后。鸕野讃良(うののさらら)。

・天武天皇崩御後、後継ぎの草壁皇子が早逝。のちの三種の神器となる、剣と鏡をたてまつって即位した。

・夫の天武天皇の事績を継いで、飛鳥浄御原律令(あすかきよみはられい)を施行。

・藤原京へ遷都

・皇太子(42代文武天皇)に位を譲り、初の上皇となる。

 

40代 天武(てんむ)天皇(位673-686)

40代 天武天皇(てんむてんのう)

生没 631年~686年(享年56)
在位 673年(43歳)~686年(56歳)

飛鳥時代

・38代天智天皇の弟、大海人皇子。

・「壬申の乱(672)」で大友皇子(39代弘文天皇)を倒し、即位した。

・都を近江(滋賀)から「飛鳥浄御原宮(あすかのきよみはらのみや)」(奈良・明日香村)に戻す。以降、40代天武天皇・41代持統天皇と2代に渡って、政治の中心地となる。

・初めて「天皇」の称号や「日本」の国号を使用した。

・天皇や皇族が政治を執る「皇親(こうしん)政治」を行い、天皇中心の律令国家を目指した。

・「八色の姓(やくさのかばね)」を制定し、身分秩序を確立。

・『日本書紀』の編纂が開始された。天武天皇の子の舎人親王が任にあたる。

 

 

39代 弘文(こうぶん)天皇(位671-672)

39代 弘文天皇(こうぶんてんのう)

生没 648年~672年(享年25)
在位 671年(24歳)~672年(25歳)

飛鳥時代

・38代天智天皇の子、大友皇子。

・「壬申の乱(672)」で、叔父の大海人皇子に敗れる。

・『日本書紀』には即位の記載がなく、明治時代に弘文天皇の諡号(しごう)が贈られた。

※諡号(しごう)・・貴人、僧侶の死後、その人の生前の行ないをほめたたえておくる名。おくり名。

 

38代 天智(てんじ)天皇(位668-671) 

38代 天智天皇(てんじてんのう)

生没 626年~671年(享年46)
在位 668年(43歳)~671年(46歳)

飛鳥時代

・中大兄皇子は即位の儀を行うことなく政務についた。(称制・即位せず政務を行うこと)。(即位したのは斉明天皇の崩御から7年後。)

・大化の改新(中央集権化)を進める。

・滅亡した百済を復興させようと、白村江の戦い(663)に臨んだが敗れた。国防を強化。各地に山城を築き、筑紫に防人を置く。

・飛鳥(奈良)から、内陸の近江(滋賀)に遷都した。(現・近江神宮)

・漏刻(ろうこく)(水時計)をつくり、時間を知らせた。

・「庚午年籍(こうごねんじゃく)」(日本初の戸籍)を作成。(現存せず)

・百人一首
1「秋の田の 仮庵の庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ」

 

37代 斉明(さいめい)天皇(位655-661) ※

37代 斉明天皇(さいめいてんのう)

生没 594年~661年(享年68)
在位 655年(62歳)~661年(68歳)

飛鳥時代

・35代皇極天皇が再度即位した。重祚(ちょうそ)。

・牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)。2010年に斉明天皇と娘の間人皇女の合同墓と特定された。

 

36代 孝徳(こうとく)天皇(位645-654) 

36代 孝徳天皇(こうとくてんのう)

生没 596年~654年(享年59)
在位 645年(50歳)~654年(59歳)

飛鳥時代
・乙巳の変(645)の後、35代皇極天皇は息子の中大兄皇子に皇位を譲ろうとしたが、中大兄皇子はこれを受けず。皇極は弟の軽皇子に皇位を譲り、孝徳天皇となった。

・政治の実権は皇太子の中大兄皇子が握る。

・「冠位十九階」を制定。冠には花があしらわれた。

・難波(なにわ)に都を遷都したが、中大兄皇子が元の大和(奈良)に戻ることを奏上。孝徳天皇はひとり反対し、取り残され、翌年崩御した。