54代 仁明(にんみょう)天皇
生没 810年~850年(享年41)
在位 833年(24歳)~850年(41歳)
平安時代
・淳和(じゅんな)天皇からの譲位で、嵯峨帝の子、正良(まさら)親王(仁明天皇)が即位。
・淳和天皇の子、恒貞(つねさだ)親王が皇太子となっていたが、橘逸勢とともに謀反の疑いありとして廃した。(承和の変・842)。代わりに自分の息子の道康親王(文徳天皇)を皇太子にした。皇后順子(のぶこ)の兄、藤原良房が画策したともいわれる。
・小野小町が更衣となった。
54代 仁明(にんみょう)天皇
生没 810年~850年(享年41)
在位 833年(24歳)~850年(41歳)
平安時代
・淳和(じゅんな)天皇からの譲位で、嵯峨帝の子、正良(まさら)親王(仁明天皇)が即位。
・淳和天皇の子、恒貞(つねさだ)親王が皇太子となっていたが、橘逸勢とともに謀反の疑いありとして廃した。(承和の変・842)。代わりに自分の息子の道康親王(文徳天皇)を皇太子にした。皇后順子(のぶこ)の兄、藤原良房が画策したともいわれる。
・小野小町が更衣となった。
53代 淳和(じゅんな)天皇
生没 786年~840年(享年55)
在位 823年(38歳)~833年(48歳)
平安時代
・兄の嵯峨帝から譲位されて即位。
・『日本後紀』を編纂。(「六国史」の一つ。)
・『経国集』を編纂。勅撰漢詩文集。良岑安世らが撰進。初の詩文総集。(827)
・『令義解』(りょうのぎげ)を編纂。養老令(ようろうりょう)の解説書。清原夏野らが記す。
(※「令(りょう)」は民法・行政法。「律」は刑法だが、こちらはない。)
・歴代天皇で唯一散骨した天皇。葬儀の莫大な費用を軽減し民の負担を減らした。
52代 嵯峨(さが)天皇
生没 786年~842年(享年57)
在位 809年(24歳)~823年(38歳)
平安時代
・平城上皇が挙兵したが鎮圧(薬子の変・810)。以後は政局が安定。
・「蔵人頭(くろうどのとう)」(機密文書を扱う天皇秘書)を創設。藤原冬嗣を重用。
・「弘仁格式(こうにんきゃくしき)」で律令の補足・修正が行われた。
・「検非違使(警察・裁判所)」を設置。
・華やかな「弘仁文化」が花開く。中国歴史、漢詩、書道などが発展。
・「三筆」と呼ばれる書の名手であった。(嵯峨天皇、橘逸勢、弘法大師空海)
51代 平城(へいぜい)天皇
生没 774年~824年(享年51)
在位 806年(33歳)~809年(36歳)
平安時代
・桓武帝の第一皇子。
・財政難の立て直しに尽力。官僚組織を改革した。
・妻の母・薬子に惹かれ、寵愛した。
・病弱だったため弟の神野(じんの)親王に譲位。
50代 桓武(かんむ)天皇
生没 737年~806年(享年70)
在位 781年(45歳)~806年(70歳)
平安時代
・皇太子の他戸(おさべ)親王が廃されて代わりに皇太子となり、譲位され即位。母は百済からの渡来系氏族の高野新笠。
・妻が26人、子供が35人いた。
・平城京から長岡京に遷都(784)
・東北の蝦夷討伐。坂上田村麻呂を征夷大将軍とした。(801~804)
・長岡京から平安京へ遷都(794)。平安時代が始まる。
49代 光仁(こうにん)天皇
生没 709年~781年(享年73)
在位 770年(62歳)~781年(73歳)
奈良時代
・天智天皇の孫、白壁王が即位。藤原氏が実権を握るため擁立。
・聖武天皇の皇女・井上内親王が妻。(のちに光仁天皇を呪詛したとの陰謀に巻き込まれ幽閉・暗殺される。)
48代 称徳(しょうとく)天皇
生没 718年~770年(享年53歳)
在位 764年(47歳)~770年(53歳)
奈良時代
・淳仁帝を廃し、重祚(ちょうそ)して称徳天皇となった。
・百万塔陀羅尼(ひゃくまんとう・だらに)。経典。世界最古の印刷物。藤原仲麻呂の乱の戦没者供養として作られた。(764)
・僧の道鏡を重用し、政局が混迷したといわれる。
47代 淳仁(じゅんにん)天皇
生没 733年~765年(享年33)
在位 758年(26歳)~764年(32歳)
奈良時代
・天武天皇の孫、舎人親王の子、大炊王(おおいおう)が藤原仲麻呂の擁立で即位(淳仁天皇)
・藤原仲麻呂の乱で失脚し、淡路へと配流される。翌年、逃亡を図るもとらえられ、その後病死したと伝わる。「淡路廃帝(あわじはいたい)」と呼ばれていたが、明治になって諡号が送られた。
46代 孝謙(こうけん)天皇
生没 718年~770年(享年53)
在位 749年(32歳)~758年(41歳)
奈良時代
・初の女性皇太子、阿倍内親王が譲位で即位。
・仏教への信仰心が篤く、東大寺盧舎那仏開眼供養も行った。(752)
・政治の実権は母の光明(こうみょう)皇太后と、その甥の藤原仲麻呂(藤原武智麻呂の次男・恵美押勝)が主導。
45代 聖武(しょうむ)天皇
生没 701年~756年(享年56)
在位 724年(24歳)~749年(49歳)
奈良時代
・24歳で叔母の元正天皇から譲位され即位。
・聖武天皇は母・宮子(不比等の娘)に「大夫人(だいぶにん)」の称号を与えたが、長屋王がこれを問題視。藤原四子は長屋王を排斥。→長屋王の変(729)
・藤原四子が天然痘で没後は橘諸兄、吉備真備などが支えた。
・恭仁京(京都)(740)、難波宮(大阪)(744)、紫香楽宮(滋賀)(745)と、三度遷都を繰り返したのち、元の平城京(奈良)に戻る。
・仏教による鎮護国家を願い、諸国に国分寺を建立。(741)
・大仏造立の詔(だいぶつぞうりゅうのみことのり)(743)。開眼供養会(752)
44代 元正(げんしょう)天皇
生没 680年~748年(享年69)
在位 715年(36歳)~724年(45歳)
奈良時代
・元明天皇から譲位。皇女の氷高皇女(ひだかのひめみこ)が即位。(文武天皇の姉)
・引き続き、藤原不比等が政権を取る。
・「養老律令」制定(718)
・『日本書紀』完成(720)
・「百万町歩開墾計画(ひゃくまんちょうぶ・かいこんけいかく)」を実施。人口増加で不足した口分田を増やす。頓挫。(722)
↓↓
・「三世一身法」で3代までの墾田の私有を認め、開墾を奨めた。(723)(→荘園の始まりにつながる)
43代 元明天皇(げんめいてんのう)
生没 661年~721年(享年61)
在位 707年(47歳)~721年(61歳)
飛鳥・奈良時代
・文武天皇が25歳で崩御。皇子の首皇子(おびとおうじ)は7歳だったため、母の阿閇皇女(あへのひめみこ)が即位。
・藤原不比等が実権を握る。
・武蔵国で和銅が献上。「和同開珎」を鋳造。(708)
・藤原京から平城京へ遷都(710)。奈良時代が始まる。
・『古事記』が編纂され献上。(712)
40代 文武天皇(もんむてんのう)
生没 683年~707年(享年25)
在位 697年(15歳)~707年(25歳)
飛鳥時代
・軽皇子(かるのみこ)
・15歳で即位。
・「大宝律令」の制定
・文武の夫人は藤原不比等の娘・宮子。ここから藤原氏躍進が始まる。
41代 持統天皇(じとうてんのう)
生没 645年~702年(享年58)
在位 690年(46歳)~697年(58歳)
称制(皇后のまま政治を執る)686(42歳)~689(45歳)
飛鳥時代
・38代天智天皇の娘。40代天武天皇の皇后。
・夫の天武天皇の事績を継いで飛鳥浄御原律令(あすかきよみはられい)を施行
・藤原京へ遷都
・皇太子(文武天皇)に位を譲り、初の上皇となる。
40代 天武天皇(てんむてんのう)
生没 631年~686年(享年56)
在位 673年(43歳)~686年(56歳)
飛鳥時代
・天智天皇の弟、大海人皇子
・壬申の乱で大友皇子(弘文天皇)を倒し即位。
・飛鳥浄御原宮(あすかのきよみはらのみや)が政治の中心に。
・初めて「天皇」の称号や「日本」の国号を使用した
・天皇や皇族が政治を執る「皇親政治」を行い、天皇中心の律令国家を目指した
・「八色の姓」を制定し身分秩序を確立。
39代 弘文天皇(こうぶんてんのう)
生没 648年~672年(享年25)
在位 671年(24歳)~672年(25歳)
飛鳥時代
・天智天皇の子、大友皇子
・壬申の乱で叔父の大海人皇子に敗れる
・『日本書紀』には即位の記載がなく、明治時代に弘文天皇の諡号が贈られた。
38代 天智天皇(てんじてんのう)
生没 626年~671年(享年46歳)
在位 668年(43歳)~671年(46歳)
飛鳥時代
・中大兄皇子
・白村江の戦い(663)に敗れ、国防を強化。各地に山城を築き、筑紫に防人を置く。
・飛鳥から近江に遷都。(現・近江神宮)
・漏刻(ろうこく)(水時計)をつくり、時間を知らせた。
・庚午年籍(こうごねんじゃく)(日本初の戸籍)を作成。(現存せず)
37代 斉明天皇(さいめいてんのう)
生没 594年~661年(享年68歳)
在位 655年(62歳)~661年(68歳)
飛鳥時代
・35代皇極天皇が再度即位。重祚(ちょうそ)。
・牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)
36代 孝徳天皇(こうとくてんのう)
生没 596年~654年(享年59歳)
在位 645年(50歳)~654年(59歳)
飛鳥時代
・政治の実権は皇太子の中大兄皇子が握る。
・「冠位十九階」を制定。冠には花があしらわれた。
・難波に遷都したが、また飛鳥に戻る。孝徳天皇は反対し、ひとり取り残され、翌年崩御。
35代 皇極天皇(こうぎょくてんのう)在642年~
生没 594年~661年(享年68歳)
在位 642年(49歳)~645年(52歳)
飛鳥時代
・舒明天皇の皇后、宝皇女が即位し皇極天皇となる。
・蘇我蝦夷の子、蘇我入鹿が実権を握り専横の限りを尽くした。
・中大兄皇子・中臣鎌足が蘇我入鹿を討つ。蘇我氏が滅亡。