43代 元明天皇(げんめいてんのう)
生没 661年~721年(享年61)
在位 707年(47歳)~715年(55歳)
飛鳥・奈良時代
・文武天皇が25歳で崩御。第一皇子の首皇子(おびとおうじ)は7歳だったため、42代文武天皇の母の阿閇皇女(あへのひめみこ)が即位し、43代元明天皇となった。
・藤原不比等が実権を握る。
・武蔵国から和銅が献上された。「和同開珎」を鋳造した。(708)
・藤原京から平城京へ遷都(710)。奈良時代が始まる。
・『古事記』が編纂され献上された。(712)
43代 元明天皇(げんめいてんのう)
生没 661年~721年(享年61)
在位 707年(47歳)~715年(55歳)
飛鳥・奈良時代
・文武天皇が25歳で崩御。第一皇子の首皇子(おびとおうじ)は7歳だったため、42代文武天皇の母の阿閇皇女(あへのひめみこ)が即位し、43代元明天皇となった。
・藤原不比等が実権を握る。
・武蔵国から和銅が献上された。「和同開珎」を鋳造した。(708)
・藤原京から平城京へ遷都(710)。奈良時代が始まる。
・『古事記』が編纂され献上された。(712)
40代 文武天皇(もんむてんのう)
生没 683年~707年(享年25)
在位 697年(15歳)~707年(25歳)
飛鳥時代
・軽皇子(かるのみこ)。15歳で即位。40代天武天皇と41代持統天皇の孫。
・持統天皇は譲位後、文武の後見として補佐。日本初の律令である「大宝律令」の制定(701)などが行われた。
・文武天皇の夫人は藤原不比等の娘・宮子。ここから藤原氏の躍進が始まる。
41代 持統天皇(じとうてんのう)
生没 645年~702年(享年58)
在位 690年(46歳)~697年(58歳)
称制(皇后のまま政治を執る)686(42歳)~689(45歳)
飛鳥時代
・38代天智天皇の娘。40代天武天皇の皇后。鸕野讃良(うののさらら)。
・天武天皇崩御後、後継ぎの草壁皇子が早逝。のちの三種の神器となる、剣と鏡をたてまつって即位した。
・夫の天武天皇の事績を継いで、飛鳥浄御原律令(あすかきよみはられい)を施行。
・藤原京へ遷都
・皇太子(42代文武天皇)に位を譲り、初の上皇となる。
40代 天武天皇(てんむてんのう)
生没 631年~686年(享年56)
在位 673年(43歳)~686年(56歳)
飛鳥時代
・38代天智天皇の弟、大海人皇子。
・「壬申の乱(672)」で大友皇子(39代弘文天皇)を倒し、即位した。
・都を近江(滋賀)から「飛鳥浄御原宮(あすかのきよみはらのみや)」(奈良・明日香村)に戻す。以降、40代天武天皇・41代持統天皇と2代に渡って、政治の中心地となる。
・初めて「天皇」の称号や「日本」の国号を使用した。
・天皇や皇族が政治を執る「皇親(こうしん)政治」を行い、天皇中心の律令国家を目指した。
・「八色の姓(やくさのかばね)」を制定し、身分秩序を確立。
・『日本書紀』の編纂が開始された。天武天皇の子の舎人親王が任にあたる。
39代 弘文天皇(こうぶんてんのう)
生没 648年~672年(享年25)
在位 671年(24歳)~672年(25歳)
飛鳥時代
・38代天智天皇の子、大友皇子。
・「壬申の乱(672)」で、叔父の大海人皇子に敗れる。
・『日本書紀』には即位の記載がなく、明治時代に弘文天皇の諡号(しごう)が贈られた。
※諡号(しごう)・・貴人、僧侶の死後、その人の生前の行ないをほめたたえておくる名。おくり名。
38代 天智天皇(てんじてんのう)
生没 626年~671年(享年46)
在位 668年(43歳)~671年(46歳)
飛鳥時代
・中大兄皇子は即位の儀を行うことなく政務についた。(称制・即位せず政務を行うこと)。(即位したのは斉明天皇の崩御から7年後。)
・大化の改新(中央集権化)を進める。
・滅亡した百済を復興させようと、白村江の戦い(663)に臨んだが敗れた。国防を強化。各地に山城を築き、筑紫に防人を置く。
・飛鳥(奈良)から、内陸の近江(滋賀)に遷都した。(現・近江神宮)
・漏刻(ろうこく)(水時計)をつくり、時間を知らせた。
・「庚午年籍(こうごねんじゃく)」(日本初の戸籍)を作成。(現存せず)
・百人一首
1「秋の田の 仮庵の庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ」
37代 斉明天皇(さいめいてんのう)
生没 594年~661年(享年68)
在位 655年(62歳)~661年(68歳)
飛鳥時代
・35代皇極天皇が再度即位した。重祚(ちょうそ)。
・牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)。2010年に斉明天皇と娘の間人皇女の合同墓と特定された。
36代 孝徳天皇(こうとくてんのう)
生没 596年~654年(享年59)
在位 645年(50歳)~654年(59歳)
飛鳥時代
・乙巳の変(645)の後、35代皇極天皇は息子の中大兄皇子に皇位を譲ろうとしたが、中大兄皇子はこれを受けず。皇極は弟の軽皇子に皇位を譲り、孝徳天皇となった。
・政治の実権は皇太子の中大兄皇子が握る。
・「冠位十九階」を制定。冠には花があしらわれた。
・難波(なにわ)に都を遷都したが、中大兄皇子が元の大和(奈良)に戻ることを奏上。孝徳天皇はひとり反対し、取り残され、翌年崩御した。
35代 皇極天皇(こうぎょくてんのう)
生没 594年~661年(享年68)
在位 642年(49歳)~645年(52歳)
飛鳥時代
・34代舒明天皇の皇后である宝皇女(たからのひめみこ)が即位し、皇極天皇となる。
・蘇我蝦夷の子、蘇我入鹿が実権を握り、専横の限りを尽くした。
・皇極の皇子である中大兄皇子と、中臣鎌足が蘇我入鹿を討つ(乙巳の変・645)。これにより蘇我氏本宗家が滅亡した。
その後「大化の改新(中央集権化)」が進む。
34代 舒明天皇(じょめいてんのう)
生没 593年~641年(享年49)
在位 629年(37歳)~641年(49歳)
飛鳥時代
・30代 敏達天皇の孫・田村皇子(たむらのみこ)。
・厩戸王の子である山背大兄王(やましろのおおえのおう)と、田村皇子のいずれを擁立するかで意見が分かれた。
蘇我入鹿は田村皇子の擁立に動き、山背大兄王(やましろのおおえのおう)の上宮王家(じょうぐうおうけ)は滅亡。田村皇子が舒明天皇として即位した。
・舒明天皇の皇后は35代皇極(斉明)天皇。皇子は中大兄皇子(天智天皇)、大海人皇子(天武天皇)。
33代 推古天皇(すいこてんのう)
生没 554年~628年(享年75)
在位 592年(39歳)~628年(75歳)(在位36年)
飛鳥時代
・敏達天皇の皇后、額田部皇女(ぬかたべのひめみこ)が、初の女性天皇として即位。
・摂政の厩戸王(聖徳太子)と、蘇我馬子が主導で政治を進めた。(厩戸王は推古天皇のおい、馬子は推古天皇の叔父。)
・「冠位十二階」「十七条憲法」の制定。(厩戸王が中心)
・遣隋使の派遣。
・『天皇記』『国記』といった国史の編纂。
・四天王寺や法隆寺の建立など。
・和風諡号は「豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)」。
・『古事記』の記述はこの推古天皇まで。