古墳 – 天皇note

32代 崇峻(すしゅん)天皇(位587-592)

32代 崇峻天皇(すしゅんてんのう)在587年~

生没 ?年~592年(享年?歳)
在位 587年(?歳)~592年(?歳)

古墳/飛鳥時代
・欽明天皇の第十二皇子、泊瀬部皇子(はつせべのみこ)。

・物部守屋は兄の穴穂部皇子を擁立しようとしていたが、蘇我馬子がこれを阻止し、穴穂部皇子を討った。

・さらに蘇我氏と物部氏が戦い、物部氏が敗れる(丁未(ていび)の乱・587年)。馬子が崇峻天皇を擁立。これ以降、仏教信仰が本格化する。

・実権は蘇我馬子が握っており、次第に崇峻天皇とは軋轢が生じ始めた。献上された猪を見て「(馬子の)首も猪のように落としたい」と語り、それを知った馬子に暗殺されたという。

 

31代 用命(ようめい)天皇(位585-587)

31代 用命天皇(ようめいてんのう)位585年~

生没 540年~587年(享年48)
在位 585年(46歳)~587年(48歳)

古墳/飛鳥時代

・29代欽明天皇の第四皇子、橘豊日尊(たちばなのとよひのみこと)。兄の30代敏達天皇が崩御して、即位した。

・母は堅塩姫(きたしひめ)(蘇我稲目の娘)。皇后は異母妹である穴穂部間人皇女(あなほべ はしひとのひめみこ)。

・厩戸王(聖徳太子)の父。

・即位して2年で病に伏したため、仏教への帰依を願うようになった。

・法隆寺の薬師如来像は、息子の厩戸王が亡き用明天皇のため発願したといわれている。(法隆寺は厩戸王が用明天皇の供養のために建てたとされる。)

 

30代 敏達(びだつ)天皇(位572-585)

30代 敏達天皇(びだつてんのう)

生没 538年~585年(享年48)
在位 572年(35歳)~585年(48歳)

古墳時代

・29代欽明天皇の第二皇子。

・敏達天皇の皇后は、異母妹の豊御食炊屋姫尊(とよみけかしきやひめのみこと)(=33代推古天皇)。

・物部守屋と蘇我馬子が仏教の排仏、崇拝をめぐって対立。

・疫病や天然痘が流行。