tennounote01net – ページ 7 – 天皇note

114代 中御門(なかみかど)天皇(位1709-1735)

114代 中御門(なかみかど)天皇

生没 1701年~1737年(享年37)
在位 1709年(9歳)~1735年(35歳)

江戸時代

・9歳で即位したが、半年後に父・113代東山天皇が急死したため、祖父の112代霊元天皇が院政を行った。

・中御門天皇の治世は、徳川幕府でいうと6代家宣、7代家継、8代吉宗の時代。

・朝幕関係はすこぶる良好で、閑院宮家の創立などもすんなりと運んだ。

・8代将軍・吉宗が「享保の改革」を進め、幕府財政が改善。吉宗は有職故実(ゆうそくこじつ/朝廷の儀式や慣例の研究)にも理解があり、朝儀の再興が進む。

・112代霊元天皇の娘、吉子内親王を、江戸幕府・7代将軍・徳川家継に降嫁させることを決定。家継は早逝したため実現しなかったが、初めての降嫁は大きな決断だったといえる。

・管弦、和歌、書道、に通じ、特に笛は天下一品で、狐までも間近にきて聞き入っていたという。

・「中御門」は「待賢門」の別称から。天皇の御所が近かったため。

113代 東山(ひがしやま)天皇(位1687-1709)

113代 東山(ひがしやま)天皇

生没 1675年~1709年(享年35)
在位 1687年(13歳)~1709年(35歳)

江戸時代

・父の112代霊元天皇より譲位を受けて即位。父とは逆の穏和な性格であったという。

・父の代に続いて幕府との関係は良好で、安定した治世であった。

・財政支援を得て御料(ごりょう)(皇室領)が増え、朝儀や祭祀の再興が進んだ。

・元禄文化が花開いた時代で、5代綱吉の「生類憐みの令」や赤穂浪士の討ち入りなどがあった。

・徳川6代将軍・家宣の近臣、新井白石の提案や、関白・近衛基煕(このえもとひろ)の働きにより「閑院宮家(かんいんのみやけ)」が創設される。東山天皇の第6皇子(直仁(なおひと)親王)が入った。

 

112代 霊元(れいげん)天皇(位1663-1687)

112代 霊元(れいげん)天皇

生没 1654年~1732年(享年79)
在位 1663年(10歳)~1687年(34歳)

江戸時代

・108代 後水尾天皇の十九皇子。異母兄の110代 後光明天皇の養子となり、後継者として育つ。

・111代 後西天皇から譲位され、10歳で即位。

・剛毅(ごうき)(意志が堅く、物事にひるまない)な性格であったという。

・即位18年目、霊元天皇28歳で、父の108代 後水尾天皇が崩御すると、親政を開始。朝仁親王(113代東山天皇)を立太子した。霊元帝は、約50年間実力者として君臨した。

・5代将軍・徳川綱𠮷から援助を受けて、221年ぶりに「大嘗祭」を復活させた。

・江戸幕府・7代将軍・家継(いえつぐ)の名付け親にもなっている。