17代 履中天皇(りちゅうてんのう)
生没 ?年~405年(享年?)
在位 400年~405年 (在位5年)
古墳時代
・16代仁徳天皇の第一皇子。
・都と地方で文書のやり取りをする「国史(ふみひと)」を初めて設置した。
・『宋書』倭国伝の、倭国王・讃(さん)と見なされている。
17代 履中天皇(りちゅうてんのう)
生没 ?年~405年(享年?)
在位 400年~405年 (在位5年)
古墳時代
・16代仁徳天皇の第一皇子。
・都と地方で文書のやり取りをする「国史(ふみひと)」を初めて設置した。
・『宋書』倭国伝の、倭国王・讃(さん)と見なされている。
16代 仁徳天皇(にんとくてんのう)
生没 257年~399年(享年143)
在位 313年~399年 57~143歳(在位86年)
古墳時代
・15代応神天皇の皇子。
・都を大和(奈良)から河内・難波高津宮(なにわたかつのみや)(大阪市)へ移す。
・高句麗王の伝記「好太王碑文(こうたいおうひぶん)」の倭の朝鮮遠征は、仁徳天皇と考えられる。
・困窮する民を見て3年間免税。水害を防ぐため堤防を築くなど、仁政をしいたとされる。
・ただし大仙陵(だいせんりょう)古墳(堺市)は疑問視されている。
15代 応神天皇(おうじんてんのう)
生没 200年~310年(享年111)
在位 270年~310年 71~111歳(在位40年)
古墳時代
・14代仲哀天皇の子、誉田別尊(ほむたわけのみこと)。母は神功皇后。
・政権の拠点を大和地方(奈良)から河内地方(大阪)へと移す。「河内王朝」とも呼ばれる。
・この頃多くの渡来人が来日した。百済の学者・王仁(わに)が『論語』をもたらす。(文字は一世紀ごろとされる)。
漢人の阿知使主(あちのおみ)(東漢氏(やまとのあやうじ)の祖)が大陸の新技術を伝えた。酒造や、養蚕(秦氏)の技術も伝わる。
・応神天皇は「八幡神(はちまんしん/やはたのかみ)」とも同一視される。
(八幡神の発祥の地である宇佐八幡宮(大分)に、3歳の子供の姿で応神天皇が現れたなどの逸話が残るため。)
八幡神はその後、戦勝の神、軍神として武家から崇敬を集めるようになる。
・応神天皇陵といわれる誉田御廟山古墳(こんだごびょうやまこふん)(大阪・羽曳野市)は国内第二位の大規模な古墳。
14代 仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)
生没 ?~200年(享年?)
在位 192~200年(在位9年)
神代
・13代 成務天皇の弟、日本武尊(やまとたける)の第2皇子。仲哀天皇は成務天皇の甥にあたる。
・仲哀天皇の妃は神功皇后(じんぐうこうごう)。神功皇后は天皇として即位していたのではという説もあり、明治時代にはお札の肖像画にもなった。
・『日本書紀』には「神功皇后」が「卑弥呼」と同一人物のような書き方もされている。『魏志倭人伝』の「鬼道を行う」などの表記を使っている。
・仲哀天皇は神託に従わなかったので他界したといわれる。仲哀天皇の没後は、神功皇后が、皇子(後の15代応神天皇)の摂政となる。
・武内宿禰(たけうちのすくね)が神功皇后に仕えた。(12代景行天皇から5代の天皇に仕えたので計算上300歳になる?)
『古今著聞集』には、鎌倉幕府2代執権・北条義時が武内宿禰の生まれ変わりという話がある。
13代 成務天皇(せいむてんのう)
生没 84~190年(享年107)
在位 131~190年(在位59年)48~107歳
神代
・12代景行天皇の子、稚足彦(わかたらしひこ)。
・日本武尊(やまとたけるのみこと)の異母弟。
・蘇我氏の祖、武内宿禰(たけのうちのすくね)を大臣(おおおみ)として重用。
・山河を堺にして国県(くにあがた)を分け、縦横の道に従って邑里(むら)を定めた。
・諸国に国造(くにのみやつこ)(地方官)や、県主(あがたぬし)(皇室直轄地の長)を置く。
・地方行政に整備に力を注ぎ、天下太平の世が続いたという。
12代 景行天皇(けいこうてんのう)
生没 前13~130年(享年143)
在位 71~130年(在位59年)84~143歳
神代
・11代垂仁天皇の第三皇子。
・景行天皇の皇子は双子。兄は大碓皇子(おおうすのみこ)、弟は小碓尊(おうすのみこ)。この弟の小碓尊(おうすのみこ/やまとおぐな)の方が、後に日本武尊(やまとたけるのみこと)となる。
※「やまとたけるのみこと」は、『古事記』では「倭建命」、『日本書紀』では「日本武尊」と表記される。
・日本武尊は、熊襲(クマソ)や東国を討伐した。「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」で戦う。
また「国偲び歌」を読んだ。
「倭は国のまほろば たたなづく青垣 山ごもれる 倭しうるはし」
(訳:倭(大和)は国の中で最もすばらしい場所だ。青々とした垣根のように重なり合った山々が取り囲む大和。うるわしき我がふるさとよ。)
日本武尊が亡くなると、魂は白鳥になり大和へ飛んでいったと伝わる。
(映画『日本誕生』)
11代 垂仁天皇(すいにんてんのう)
生没 前69~70年(享年130)
在位 前29~70年(在位99年)41~139歳
神代
・10代崇神天皇の第三皇子。
・伊勢神宮の創始(伊勢五十鈴川のほとりに天照大神を祀った祠を建てさせる)。
・「相撲節会(すまいのせちえ)」が相撲の起源になる。大和国・当麻邑(たぎまむら)の 蹶速(けはや)と、出雲の野見宿禰(のみのすくね)との戦いで野見宿禰が勝つ。
・野見宿禰の提案で、殉死を禁じ、埴輪に変えた。
・皇后・狭穂姫(さほひめ)は、兄・狭穂彦王(さほひこのみこ)の命令で垂仁天皇を短剣で討とうとしたが失敗。垂仁帝は狭穂姫を許そうとしたが、狭穂姫は兄とともに自ら命を絶った。
・垂仁天皇は、田道間守(たじまもり)に、常世国(とこよのくに)(不老不死の理想郷)から、不老不死の妙薬、橘を持ち帰るよう命じた。
10代 崇神天皇(すじんてんのう)
生没 前148~前30年(享年119)
在位 前97~前30年(在位68年)52~119歳
神代
・9代開化天皇の子
・「記紀」の記述より、事実上初の初代の天皇とみなし、実在の可能性が高いとされる
・「御肇国 天皇(はつくにしらす すめらみこと)」として即位。都を磯城瑞籬宮(しきみずがきのみや)(奈良県・桜井市)に移した。
※「しらす」は「領らす」と書き「統治する」の意味。
・ヤマト政権の創始者という説もある。
・各地に「四道(しどう)将軍」を派遣した。(北陸・東海・西海・丹波)出雲の豪族・振根(ふるね)を征して勢力を広げる。
・灌漑を行って農地を整備するなど善政を行った。
・崇神天皇が「大物主神(おおものぬしのかみ)」を三輪山に祭ると、国中が平和になったという。
9代 開化天皇(かいかてんのう)
生没 前208~前98年(享年111)
在位 前158~前98年(在位61年)50歳~111歳
神代
・8代孝元天皇の皇子。
・欠史八代の最後の天皇。
・父の妃を皇后にして、10代崇神天皇をもうけたとされる。
8代 孝元天皇(こうげんてんのう)
生没 前273~前158年(享年116)
在位 前214~前158年(在位56年)60~116歳
神代
・7代孝霊天皇の皇子。
・欠史八代
・武内宿禰(たけのうちすくね)の曾祖父。(神功(じんぐう)皇后に仕えた)
7代 孝霊天皇(こうれいてんのう)
生没 前342~前215年(享年128)
在位 前290~前215年(在位年)53~128歳
神代
・6代孝安天皇の皇子。
・欠史八代。
・倭迹迹日百襲姫命(やまと ととひ ももそひめのみこと)(卑弥呼?)や、四道将軍の一人、吉備津彦命(きびつひこのみこと)の父。
6代 孝安天皇(こうあんてんのう)
生没 前427~前291年(享年137)
在位 前392~前291年(在位102年)34~137歳
神代
・5代孝昭天皇の第2子。
・欠史八代
・室秋津嶋宮(むろのあきつしまのみや)を建てた。
5代 孝昭天皇(こうしょうてんのう)
生没 前506~前393年(享年114)
在位 前475~前393年(在位83年)32~114歳
神代
・4代懿徳(いとく)天皇の皇子。
・欠史八代。実在したかは不明。
・都を腋上(わきのがみ)へ移して、池心宮(いけのごころのみや)(奈良県・御所市・ごせし)を建てる。
4代 懿徳天皇(いとくてんのう)
生没 前553~前477年(享年77)
在位 前510~前477年(在位34年)44~77歳
神代
・3代安寧天皇の第2子。
・欠史八代。
・即位後、都を軽曲峡宮(かるのまがりおのみや)(奈良県・橿原市)に移した。
3代 安寧天皇(あんねいてんのう)
生没 前577~前511年(享年67)
在位 前549~前511年(在位38年)28~67歳
神代
・2代綏靖天皇の皇子。
・母は五十鈴依媛尊(いすずよりひめのみこと)=「事代主神(ことしろぬしのかみ)」の娘。
・欠史八代。実在は定かではない。
※「事代主神(ことしろぬしのかみ)」:七福神の恵比寿神と同一視されている。「大国主命(おおくにぬしのみこと)」の子。
※「大国主命(おおくにぬしのみこと)」は出雲大社の神。
大国主命(おおくにぬしのみこと)出雲大社
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事代主神(ことしろぬしのかみ)
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五十鈴依媛尊(いすずよりひめのみこと)=2代・綏靖天皇
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3代・安寧天皇
2代 綏靖天皇(すいぜいてんのう)
生没 前632~前549年(享年84)
在位 前581年(52歳)~前549年(84歳)(在位32年)
神代
・初代神武天皇の第3子。
・腹違いの兄・手研耳命(たぎしみみのみこと)を討って即位したといわれている。
・欠史八代。実在は定かではない。
初代 神武天皇(じんむてんのう)
生没 前711年~前585年(享年127)
在位 前660年(52歳)~前585年(127歳)(在位75年)
神代
・『古事記』、『日本書紀』に神話としての記述がある。実在かは不明。
・「天照大神(アマテラスオオミカミ)」の孫である「瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)」の曾孫(ひ孫)。天照大神から5代目の子孫。
・『日本書紀』に記載されている美称は「始馭天下之 天皇(はつくにしらす すめらみこと)」、和風諡号は「神日本 磐余彦天皇(かむやまと いわれびこの すめらみこと)」など。
・諱(いみな)は「彦火火出見(ひこほほでみ)」、あるいは「狭野尊(さののみこと)」、「磐余彦尊(いわれびこのみこと)」ほか多数。
・三人の兄とともに、日向国(ひむかのくに)・高千穂(宮崎県)から、安芸(広島県)、吉備(岡山県)を経て、大和(奈良県)へ東征した。
このとき八咫烏の導きがあったり、金色の鵄(とび)が弓の上に止まって勝利へ導いたという。
・橿原の地で、前660年(辛酉年・しんゆうねん)1月1日に、初代天皇として即位したといわれている。
現在の太陽暦に換算すると2月11日になり、現在この日は「建国記念の日」と定められている。(日本ができた日というよりは、日本という国ができた「こと」を祝う日。)
・皇后は、媛蹈韛 五十鈴媛命(ひめたたら いすずひめのみこと)。名前に「たたら」が入っているため、「神武天皇は製鉄技術を押さえた」という説がある。
・神武天皇が、日本を「蜻蛉(あきず)(トンボ)」に例えたことから、日本を「秋津島(あきずしま)」と呼ぶこともある。