南北朝 – 天皇note

100代 後小松(ごこまつ)天皇(位1382-1412)

北朝6代/100代 後小松(ごこまつ)天皇

生没 1377年~1433年(享年57)
在位 1382年(6歳)~1412年(36歳)

室町時代

・父・北5代 後円融天皇から譲位を受けて、6歳で即位。3代室町将軍・足利義満の強力な後押しがあった。

・「南北朝合一」が実現(1392年)。南朝の99代 後亀山天皇から三種の神器を受け継ぎ、皇統は統一された。

・室町幕府の足利義満が「治天の君(実権を持つ君主)」の権限を吸収したため、後小松天皇が実権を握ることはなかった。

・禅僧の一休宗純は後小松天皇の庶子という説がある。

 

北5代 後円融(ごえんゆう)天皇(1371-1382)

北朝5代 後円融(ごえんゆう)天皇

生没 1358年~1393年(享年36)
在位 1371年(14歳)~1382年(25歳)

南北朝時代

・後円融天皇と室町3代将軍・足利義満は同い年で、いとこ同士。たびたび衝突した。

・100代後小松天皇に譲位したあとは院政をしいたが、公家衆は義満に従い、治天の君としての権力は有名無実であった。

・持明院系統の伝統である好学を受け継ぎ『貞観政要』(唐の太宗の書)や『孟子』などの進講を受けるなどした。

・書にも優れた才を持っていた。

北4代 後光厳(ごこうごん)天皇(1352-1371)

北4代 後光厳(ごこうごん)天皇 

生没 1338年~1374年(享年37)
在位 1352年(15歳)~1371年(34歳)

南北町時代

・室町幕府が出家予定だった後光厳天皇を擁立(北1光厳の第2皇子)し、北朝を再興した。

・南朝の攻勢が激しさを増し、美濃や近江への逃亡を余儀なくされる。

・1366年、後光厳天皇から室町幕府3代将軍・足利義満に「義満」の名を与えた。

・『竹取物語』の写しを書いたといわれる。これは現存する最古のもの。

・『新千載和歌集』には乱世の中で自分をいましめる歌が残されている。
「なおざりに思ふ故かと立ち帰り 治まらぬ世を心にぞ問ふ」

・好んで絵筆を取り、草木鳥獣などを描き、歌を添えるなど、文学や芸術にすぐれた才をもっていた。

 

北3代 崇光(すこう)天皇(1348-1351)

北3代 崇光(すこう)天皇

生没 1334年~1398年(享年65)
在位 1348年(15歳)~1351年(18歳)

室町(南北朝)時代

・北1代 光厳天皇の第一皇子。叔父の北2代 光明天皇の譲位を受け15歳で即位。

・しかし3年後の1351年、「観応の擾乱」(足利尊氏と直義との対立)が起こり、正平の一統(一時的な南北朝合体)がなり、一時的に北朝が廃され、退位を余儀なくされる。

・1352年、合一は破れ、崇光上皇は、北1代 光厳上皇、北2代 光明上皇とともに南朝に賀名生に幽閉される。5年後、帰京を許されたが、子孫ともども皇位を望まないことを誓約させられた。

・琵琶や和琴、神楽などで才を発揮した。

北2代 光明(こうみょう)天皇(1336-1348)

北2代 光明(こうみょう)天皇

生没 1321年~1380年(享年60)
在位 1336年(16歳)~1348年(28歳)

南北朝時代

・93代 後伏見天皇の第二皇子。

・京都を制圧した足利尊氏に擁立される(1336)。(当時、96代 後醍醐天皇が三種の神器を持って比叡山に立てこもっていたため、三種の神器はないまま即位した。)

・学問、特に儒学に熱心であった。

・禅に帰依し、僧侶・夢窓疎石(むそうそせき)に師事する一方、中世の天皇には珍しく合理的精神の持ち主で、療養のために当時タブーであった獣肉を食べることもあったという。

 

北1代 光厳(こうごん)天皇(位1331-1333)

北1代 光厳(こうごん)天皇

生没 1313年~1364年(享年52)
在位 1331年(19歳)~1333年(21歳)

南北朝時代

・持明院統・93代 後伏見天皇の第一皇子。

・隠岐に流された96代 後醍醐天皇に変わって、室町幕府に擁立される。

・1336年、打倒建武政権の兵を挙げた足利尊氏の要請に応じて院宣(いんぜん)を発し、尊氏の挙兵に大義名分を与えた。

・弟の北2代 光明天皇の即位後は、治天の君として15年間院政をしいたが、正平の一統後、南朝に連れ去られ、賀名生(あのう)(奈良県五條市)に幽閉された。

・帰京後、出家して禅宗に帰依し、丹波の常照寺に隠棲した。

・17番目の勅撰和歌集『風雅(ふうが)和歌集』を編纂。

 

99代 後亀山(ごかめやま)天皇(位1383-1392)

99代 後亀山(ごかめやま)天皇

生没 ?年~1424年
在位 1383年~1392年

南北朝時代

・97代 後村上天皇の第二皇子。兄の98代 長慶天皇から譲位され即位した。

・このころすでに南朝の勢いは衰えていた。北朝に対して強硬派であった兄とは違って、後亀山天皇は北朝との和平を模索する。

・室町幕府・義満側との折衝を続け、1392年、ついに60年ぶりに「南北朝の合一」が成し遂げられた。

(南朝の99代 後亀山天皇が、北朝の100代/北6 後小松天皇に「三種の神器」を譲位する形)

・出家し、嵯峨・大覚寺に住んだ。

 

98代 長慶(ちょうけい)天皇(位1368-1383)

98代 長慶(ちょうけい)天皇

生没 1343年~1394年(享年52)
在位 1368年(26歳)~1383年(41歳)

南北朝時代

・97代 後村上天皇の第一皇子。

・北朝に対して強固な態度で臨んだといわれる。父の97代 後村上天皇の時代には幕府との和平交渉もあったが、長慶天皇の治世中は一切なかった。

・『新葉和歌集』に50首以上入首。また『源氏物語』の注釈書『仙源抄(せんげんしょう)』を著した。

 

97代 後村上(ごむらかみ)天皇(位1339-1368)

97代 後村上(ごむらかみ)天皇

生没 1328年~1368年(享年41)
在位 1339年(12歳)~1368年(41歳)

室町(南北朝)時代

・96代 後醍醐天皇の第九皇子。12歳で父より譲位を受けて吉野で即位。

・幼少から戦場に身を置き、軍事的才能を磨く一方、学問や文学(和歌、書道、琵琶、箏)にも長けた、文武両道の帝王であった。

・義良(のりよし)親王時代、6歳で北畠顕家とともに奥州に下る。

・南北朝の動乱が始まると京に戻り、幕府軍と戦う。

・南朝は終始劣勢だったが、一時幕府側の内紛で北朝が廃され、後村上が唯一の天皇となった(正平の一統)

 

96代 後醍醐(ごだいご)天皇(位1318-1339)

96代 後醍醐(ごだいご)天皇

生没 1288年~1339年(享年52)
在位 1318年(31歳)~1339年(52歳)

室町(南北朝)時代

・91代後宇多天皇の第二皇子である尊治親王が、持明院統の95代花園天皇より譲位を受けた。31歳という、中世では珍しい壮年での即位であった。

・「延喜・天暦の治」を理想として親政を推進した。家柄にとらわれず、有能な廷臣を重用する。

・倒幕をもくろみ、笠置山で挙兵(1331)。失敗し、隠岐に流されたが、各地の武士も反幕府に転じ、足利尊氏、新田義貞らの活躍で、鎌倉幕府が滅亡。

・京に帰還した後醍醐天皇は「建武の新政」と呼ばれる政治改革を行う。しかし公家中心の政治であったため、武士の反発を招き2年で崩壊。

・足利尊氏が室町幕府を開き、持明院統の北2代光明天皇を擁立。後醍醐は三種の神器を携えて、奈良・吉野へ下り、南北朝時代が幕を開ける。

88後嵯峨
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[大覚寺統]       [持明院統]
90亀山          89後深草
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91後宇多         92伏見
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96後醍醐 94後二条   95花園  93後伏見

97後村上