江戸 – 天皇note

121代 孝明(こうめい)天皇(位1846-1866)

121代 孝明(こうめい)天皇

生没 1831年~1866年(享年36)
在位 1846年(16歳)~1866年(36歳)

江戸時代

・仁孝天皇の第四皇子、統仁(おさひと)親王が16歳で即位。

・即位から7年、黒船来航に始まる動乱の時代が始まる。孝明天皇は外国を打ち払う「攘夷」の意思を示す。

・江戸幕府大老・井伊直弼が勅許を得ず「日米通商条約(1858)」を調印したことに怒りを表明。水戸藩に幕政改革を求める密勅を送る。

・井伊直弼が暗殺されると、幕府は朝廷と協力する「公武合体」路線を取る。孝明はこれに応じ、妹の和宮を14代将軍・徳川家茂に降嫁させる。

・しかしもはや攘夷は現実的ではなく、長州と薩摩が倒幕を目指す中、孝明天皇は疱瘡(天然痘)で急死。一説には暗殺説もささやかれている。

 

120代 仁孝(にんこう)天皇 (位1817-1846)

120代 仁孝天皇(にんこう)

生没 1800年~1846年(享年47)
在位 1817年(18歳)~1846年(47歳)

江戸時代

・父・119代光格天皇の譲位を受けて18歳で即位。

・学問を好み『日本書紀』や和歌の勉強会を催す。

・平安時代の「大学寮」のような教育機関の復活をめざした。生前には実現しなかったが、後に完成し「学習院」の前身になった(1847)

・父の光格帝と同じく、仁孝天皇も古儀の復興に熱心で、58代光孝天皇以来の950年ぶりに諡号(生前の行いを尊んで贈る名)を復活させた。

・アヘン戦争(1840)によって、清(中国)がイギリスの植民地となり、日本にも欧米の艦船がたびたび来るようになった。

 

119代 光格(こうかく)天皇(位1779-1817)

119代 光格(こうかく)天皇

生没 1771年~1840年(享年70)
在位 1779年(9歳)~1817年(47歳)

江戸時代

・118代 後桃園天皇が皇子を残さず早世したため、閑院宮家から光格天皇が即位。

・光格天皇の家系が現代の皇室までつながっている。

・朝廷の権威復活を図る。幕府にも強い態度で臨み、政治領域にも踏み込んでいる。

・円満な人柄で、質素を好んで飾ることを嫌い、民のための任聴を旨とした。

・1782年(天明2年)、天明の大飢饉では、幕府に申し入れて民衆の救済をはかった。

118代 後桃園(ごももぞの)天皇(位1770-1779)

118代 後桃園(ごももぞの)天皇

生没 1758年~1779年(享年22)
在位 1770年(13歳)~1779年(22歳)

江戸時代

・叔母の後桜町天皇(117代)の譲位を受けて13歳で即位。

・当時は徳川十代将軍・家治の時代で、老中・田沼意次が実権を握っていた。幕府は朝廷の経理に直接介入してくるようになる。

・後桃園天皇は22歳の若さで崩御。皇子もいなかったため、閑院宮家の119代光格天皇へ譲位された。

・日記八冊が遺されている。

117代 後桜町(ごさくらまち)天皇(位1762-1779)※

117代 後桜町(ごさくらまち)天皇

生没 1740年~1813年(享年74)
在位 1762年(23歳)~1770年(32歳)

江戸時代

・119年ぶりの女帝(明正天皇(109代 位1629-1643)以来)。

・桃園天皇(116代)が若くして崩御したおり、後継者の英仁親王(118代 後桃園天皇)はまだ5歳だったため、桃園帝の姉の後桜町天皇が即位した。

・8年の在位を見事に果たす。慈悲深い人格者として知られ、天明の飢饉(1782)には被災者にりんごを配るなどした。

・文筆にすぐれ、歌道の名人としても知られる。

 

116代 桃園(ももぞの)天皇(位1747-1762)

116代 桃園(ももぞの)天皇

生没 1741年~1762年(享年22)
在位 1747年(7歳)~1762年(22歳)

江戸時代

・115代 桜町天皇の第一皇子。7歳で即位。

・幼少期から学問を好み、特に漢学に造詣が深かった。

・国学者で神道家の竹内式部から激烈な「尊王論」(天皇を神聖なものとして敬う思想)を学んだ。

→幕府との関係が悪化するのではとの懸念が広がり、摂関家が幕府と協力して、竹内式部に圧力をかけ、排除した。(宝暦事件1758)

・22歳の若さで崩御。

115代 桜町(さくらまち)天皇(位1736-1747)

115代 桜町(さくらまち)天皇 在1736年~

生没 1720年~1750年(享年31)
在位 1735年(16歳)~1747年(28歳)

江戸時代

・元旦生まれ。誕生したときは宮中が喜びに包まれたという。

・補佐役の右大臣一条兼香(かねよし)の日記には、桜町帝は和歌や蹴鞠を好んだとある。

・徳川幕府は8代吉宗、9代家重の時代で、世情は比較的平穏であり、朝廷と幕府の関係も円滑であった。

・先代に中断された「大嘗祭」を再び復活させた。「新嘗祭」、「七社奉幣使(しちしゃほうへいし)」など、他の儀礼も復活させた。

・和歌を好み『桜町院御集』を残しているが、天皇としての自覚を詠んだものが多い。

・31歳で病没。

 

114代 中御門(なかみかど)天皇(位1709-1735)

114代 中御門(なかみかど)天皇

生没 1701年~1737年(享年37)
在位 1709年(9歳)~1735年(35歳)

江戸時代

・9歳で即位したが、半年後に父・113代東山天皇が急死したため、祖父の112代霊元天皇が院政を行った。

・中御門天皇の治世は、徳川幕府でいうと6代家宣、7代家継、8代吉宗の時代。

・朝幕関係はすこぶる良好で、閑院宮家の創立などもすんなりと運んだ。

・8代将軍・吉宗が「享保の改革」を進め、幕府財政が改善。吉宗は有職故実(ゆうそくこじつ/朝廷の儀式や慣例の研究)にも理解があり、朝儀の再興が進む。

・112代霊元天皇の娘、吉子内親王を、江戸幕府・7代将軍・徳川家継に降嫁させることを決定。家継は早逝したため実現しなかったが、初めての降嫁は大きな決断だったといえる。

・管弦、和歌、書道、に通じ、特に笛は天下一品で、狐までも間近にきて聞き入っていたという。

・「中御門」は「待賢門」の別称から。天皇の御所が近かったため。

113代 東山(ひがしやま)天皇(位1687-1709)

113代 東山(ひがしやま)天皇

生没 1675年~1709年(享年35)
在位 1687年(13歳)~1709年(35歳)

江戸時代

・父の112代霊元天皇より譲位を受けて即位。父とは逆の穏和な性格であったという。

・父の代に続いて幕府との関係は良好で、安定した治世であった。

・財政支援を得て御料(ごりょう)(皇室領)が増え、朝儀や祭祀の再興が進んだ。

・元禄文化が花開いた時代で、5代綱吉の「生類憐みの令」や赤穂浪士の討ち入りなどがあった。

・徳川6代将軍・家宣の近臣、新井白石の提案や、関白・近衛基煕(このえもとひろ)の働きにより「閑院宮家(かんいんのみやけ)」が創設される。東山天皇の第6皇子(直仁(なおひと)親王)が入った。

 

112代 霊元(れいげん)天皇(位1663-1687)

112代 霊元(れいげん)天皇

生没 1654年~1732年(享年79)
在位 1663年(10歳)~1687年(34歳)

江戸時代

・108代 後水尾天皇の十九皇子。異母兄の110代 後光明天皇の養子となり、後継者として育つ。

・111代 後西天皇から譲位され、10歳で即位。

・剛毅(ごうき)(意志が堅く、物事にひるまない)な性格であったという。

・即位18年目、霊元天皇28歳で、父の108代 後水尾天皇が崩御すると、親政を開始。朝仁親王(113代東山天皇)を立太子した。霊元帝は、約50年間実力者として君臨した。

・5代将軍・徳川綱𠮷から援助を受けて、221年ぶりに「大嘗祭」を復活させた。

・江戸幕府・7代将軍・家継(いえつぐ)の名付け親にもなっている。

 

111代 後西(ごさい)天皇(位1654-1663)

111代 後西(ごさい)天皇

生没 1637年~1685年(享年49)
在位 1654年(18歳)~1663年(27歳)

江戸時代

・108代後水尾天皇の第8皇子。

・後水尾天皇は、聡仁親王(112代霊元天皇)を後継ぎと決めていたため、成長するまでの中継ぎとして後西天皇が即位。そのような立場ながら、積極的に政務にあたった。

・書に長けており「禁裏御文庫(きんりごぶんこ)」(御所内の書庫)の整備など文化事業にも熱心であった。

・和歌を好み『後西院御集』など多数の和歌集を残す。

・書にも優れ、流麗で伸びやかな書風が特徴であった。ほかに茶道、華道、香道にも練達していた。

・江戸で明暦の大火(1657)、京都で地震など、厄災が続いた影響もあり譲位。

 

110代 後光明(ごこうみょう)天皇(位1643-1654)

110代 後光明(ごこうみょう)天皇

生没 1633年~1654年(享年22)
在位 1643年(11歳)~1654年(22歳)

江戸時代

・108代 後水尾天皇の第四皇子。異母姉の109代 明正天皇より譲位を受け、11歳で即位した。

・学問は漢学・漢詩(四書五経など儒学の教え)を好んだ。

・剣術にも長け、文武両道であった。

・幕府は、徳川3代家光・4代家綱の時代。

・20歳ごろから政務にも積極的に取り組むも、天然痘により22歳で急死。

 

 

109代 明正(めいしょう)天皇(位1627-1643)※

109代 明正(めいしょう)天皇

生没 1623年~1696年(享年74)
在位 1629年(7歳)~1643年(21歳)

江戸時代

・108代 後水尾天皇の第二皇女。明正天皇の母の徳川和子は、徳川2代将軍・秀忠の娘。

・859年ぶりの女帝であった。
(奈良時代の48代・称徳天皇(位764-770)以来)

・7歳で即位したため、後水尾上皇が実権を握る。

・母が徳川家ということもあり、徳川幕府との関係は安定し、穏やかなものであった。

・明正天皇は、手芸を好み、押し絵の作品が由緒の寺に伝わる。

・諡号は、奈良時代の女性天皇である43代 元明天皇の「明」と、44代 元正天皇の「正」を取って「明正」天皇となった。

108代 後水尾(ごみずのお)天皇(位1611-1629)

108代 後水尾(ごみずのお)天皇

生没 1596年~1680年(享年85)
在位 1611年(16歳)~1629年(34歳)

江戸時代

・徳川幕府の後押しで即位。

・「禁中並公家諸法度」(1615年)が制定され、幕府の厳しい監視下におかれる。元号の制定など朝廷固有の機能にも幕府の統制が及ぶようになる。

・父・107代後陽成天皇と同じく、江戸幕府に抵抗した。

・江戸幕府・2代将軍・徳川秀忠と江(於江与/おえよ)との娘、徳川和子が入内する。(家康が考案)

・「紫衣(しえ)事件」や、春日局の拝謁などをきっかけに、幕府との関係が悪化。後水尾天皇は独断で109代明正天皇に譲位を強行した。

(紫衣事件(1627年):天皇の特権であった紫衣の授与を、幕府が無効にした)
(後水尾天皇は、無位無冠の春日局(3代将軍家光の乳母)に拝謁させられたのが屈辱的であったという。)

107代 後陽成(ごようぜい)天皇(位1586-1611)

107代 後陽成(ごようぜい)天皇

生没 1571年~1617年(享年47)
在位 1586年(16歳)~1611年(47歳)

安土桃山時代

・祖父・106代正親町天皇から譲位を受けて16歳で即位。後ろ盾となったのが天皇の権威を求めていた豊臣秀吉だった。

・秀吉は聚楽第を営み、後陽成天皇の行幸を仰いだ。

・秀吉は猶子(養子)の、近衛前子(このえさきこ)を養女として入内させて、後陽成天皇の外戚になり、財政面で手厚く保護した。

・次に天下を平定した江戸幕府・初代将軍・徳川家康は朝廷に干渉し始める。後陽成天皇とは確執があったという。

・後陽成天皇は深く学問を好み『伊勢物語』や『源氏物語』などを講義し、和漢の古典を木製活字で印刷発行した。(慶長勅版本)