鎌倉 – 天皇note

95代 花園(はなぞの)天皇(位1308-1318)

95代 花園(はなぞの)天皇

生没 1297年~1348年(享年52)
在位 1308年(12歳)~1318年(22歳)

鎌倉時代
・持明院統(後深草の孫)の花園天皇が即位。

・毎朝の読経を欠かさず性質は清廉であったという。

・96後醍醐帝への譲位後は禅宗に帰依し、学問に没頭した。

・妙心寺(臨済宗の大本山)(京都市右京区)を創建する。

 

94代 後二条(ごにじょう)天皇(位1301-1308)

94代 後二条(ごにじょう)天皇

生没 1285年~1308年(享年24)
在位 1301年(17歳)~1308年(24歳)

鎌倉時代

・持明院統(後深草系)の天皇が2代(92伏見・93後伏見)続いたことを、父の後宇多上皇(亀山の子)が幕府に訴えたことで、大覚寺統の後二条帝が即位。

・容姿が美しく性質は上品で物腰は落ち着いていたという。

・兼好法師が19歳の頃仕えた。

・24歳で若くして病気で亡くなる。

93代 後伏見(ごふしみ)天皇(位1298-1301)

93代 後伏見(ごふしみ)天皇

生没 1288年~1336年(享年49)
在位 1298年(11歳)~1301年(14歳)(在位3年)

鎌倉時代

・持明院統の父・伏見天皇の譲位を受けて11歳で即位するも、幕府の意向により3年で大覚寺統の後二条天皇に譲位した。

・背景には、伏見帝の側近・京極為兼と対立する関東申次の西園寺実兼の画策があった。

・1333年、足利尊氏が六波羅探題を攻めた際、東国に逃れようとしたが捕らえられ出家した。

92代 伏見(ふしみ)天皇(位1287-1298)

92代 伏見(ふしみ)天皇

生没 1265年~1317年(享年53)
在位 1287年(23歳)~1298年(34歳)

鎌倉時代

・大覚寺統の後宇多天皇に代わり、持明院統の伏見帝が即位。さらに第1皇子胤仁(後伏見帝)を立太子させたため、両統の対立が深まる。

・浅原為頼が宮中に乱入し、伏見帝暗殺未遂事件が起こる。(1290)。公卿の三条実盛も捕縛され、叔父の亀山帝の関与も噂された。

・書の名手であった伏見帝は伏見院流の祖となる。

 

91代 後宇多(ごうだ)天皇(位1274-1287)

91代 後宇多(ごうだ)天皇

生没 1267年~1324年(享年58)
在位 1274年(8歳)~1287年(21歳)

鎌倉時代

・父・亀山帝から譲位。大覚寺統が2代続く。

・寵愛した遊義門院が亡くなると出家した。

・第2皇子・後醍醐天皇が即位すると、院政を停止した。

・『新後撰和歌集』『続千載和歌集』の撰進を命じ、大規模な歌会を催すなど和歌の振興にも尽くした。

 

90代 亀山(かめやま)天皇(位1259-1274)

90代 亀山(かめやま)天皇

生没 1249年~1305年(享年57)
在位 1259年(11歳)~1274年(26歳)

鎌倉時代

・心が大きく英明な人柄で、母・大宮院の後押しで幕府から治天の君とされる。

・2度の蒙古襲来を受ける。伊勢神宮へ祈りを捧げた。

・所領や訴訟制度の整備を進め、徳政と称えられた。

・西園寺実兼などに働きかけて、孫の後二条天皇を即位させ、大覚寺統の復権を図った。

 

89代 後深草(ごふかくさ)天皇(位1246-1259)

89代 後深草(ごふかくさ)天皇

生没 1243年~1304年(享年62)
在位 1246年(4歳)~1259年(17歳)

鎌倉時代

・腰が悪く幼少時は立つこともおぼつかなかったという。そのため父は弟の亀山天皇に期待をかけた。

・弟の亀山天皇と皇位を争い、持明院統と祖となる。

・治世中は内裏焼亡や飢饉などの災害に悩まされた。

・伏見天皇の即位後、院政を敷くが2年余で出家し法皇となる。

・「とはずがたり」の著者・二条が入内したのが後深草天皇。(『後宮』海野つなみ)

 

 

 

 

 

88代 後嵯峨(ごさが)天皇(位1242-1246)

88代 後嵯峨(ごさが)天皇

生没 1220年~1272年(享年53)
在位 1242年(23歳)~1246年(27歳)

鎌倉時代

・幕府の意向により即位。2代、26年にわたって院政をしいた。

・幕府と親密な関係を築き、第1皇子の宗尊親王が初の宮将軍となる。

・院評定衆や院伝奏などの制度を整え、院政の制度化を進めた。

 

87代 四条(しじょう)天皇(位1232-1242)

87代 四条(しじょう)天皇

生没 1231年~1242年(享年12)
在位 1232年(2歳)~1242年(12歳)

鎌倉時代

・祖父の九条道家によって擁立。2歳で即位。関東申次の西園寺公経らが実権を握る。

・御所内の事故がもとで亡くなった。いたずらで女房らを転ばせようとして板敷に滑石を塗ったところ、誤って自分が転んでしまったという。

 

 

86代 後堀河(ごほりかわ)天皇(位1221-1232)

86代 後堀河(ごほりかわ)天皇

生没 1212年~1234年(享年23)
在位 1221年(10歳)~1232年(21歳)

鎌倉時代

・承久の乱(1221)で3上皇が一度に配流されたため、後鳥羽上皇の兄の子である10歳の後堀河天皇が擁立された。

・父の守貞親王が後高倉院として院政を行う。皇位の経験なく、出家していた親王が治天の君となるのは異例。

・『新勅撰和歌集』を編纂(1235)。撰者は藤原定家。武家の歌も多く取り入れられ『宇治川集』などと呼ばれた。

 

 

 

85代 仲恭(ちゅうきょう)天皇(位1221-1221)

85代 仲恭(ちゅうきょう)天皇

生没 1218年~1234年(享年17)
在位 1221年(4歳)~1221年(4歳)

鎌倉時代

・祖父・後鳥羽上皇の倒幕計画に、父・順徳天皇も参加。順徳帝より譲位を受けて、挙兵前月の1221年4月に急遽即位した。

・2カ月で京方は敗北し、仲恭天皇は叔父の摂政・九条道家の邸宅に逃れた。

・幕府の意向により退位。九条廃帝、後廃帝(のちのはいてい)などと呼ばれ、明治時代になってようやく仲恭天皇とおくり名された。

 

84代 順徳(じゅんとく)天皇(位1210-1221)

84代 順徳(じゅんとく)天皇

生没 1197年~1242年(享年46)
在位 1210年(14歳)~1221年(25歳)

鎌倉時代

・学問を好み、『禁秘抄(きんぴしょう)』(1221)(禁中の行事、故実、作法等を記した有職故実書)、歌論集、歌集などを残した。

・反幕府派で、後鳥羽上皇の統幕計画に関与。承久の乱(1221)で敗北し佐渡に流される。

 

83代 土御門(つちみかど)天皇(位1198-1210)

83代 土御門(つちみかど)天皇

生没 1195年~1231年(享年37)
在位 1198年(4歳)~1210年(16歳)

鎌倉時代

・源通親(みちちか)の画策で後鳥羽帝の譲位で即位。鎌倉幕府では初代頼朝、2代目頼家が相次いでなくなり、3代実朝が将軍となる。

・穏やかな性格で政治にはあまり関わらなかったとされる。

・承久の乱(1221)にも関わらなかったため、幕府の追求は受けなかったが、自ら望んで土佐に流された。その後阿波に移り、土佐院、阿波院と呼ばれる。

 

80 高倉

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82後鳥羽           〇   81 安徳
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————————        86 後堀河
|      |                    |
84 順徳 83 土御門        87   四条
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85 仲恭     88 後嵯峨

(※後鳥羽の院政)

 

 

82代 後鳥羽(ごとば)天皇(位1183-1198)

82代 後鳥羽(ごとば)天皇

生没 1180年~1239年(享年60)
在位 1183年(4歳)~1198年(19歳)

平安・鎌倉時代

・兄・安徳天皇が平氏とともに都落ちしたため、三種の神器のないまま異例の即位。鎌倉幕府が開かれ、鎌倉時代が始まる。(1185)

・後鳥羽上皇は、83土御門、84順徳、85仲恭の三代に渡り院政を行う。

・「西面の武士」を設け軍事力を強化。

・『新古今和歌集』を編纂。藤原定家らを選者に任命。

・後鳥羽帝は菊を好み刀剣や衣服を菊で飾った。これが皇室の「菊花紋」の起源となる。

・鎌倉幕府3代将軍・源実朝とも和歌を通じて交流していたが、実朝が暗殺されると幕府との関係は急速に悪化。

・幕府打倒の兵を起こしたが、北条政子率いる幕府軍に敗れ、隠岐に流される(承久の乱1221)

 

80 高倉

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82 後鳥羽            〇   81 安徳
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————————        86 後堀河
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84 順徳 83 土御門        87   四条
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85 仲恭     88 後嵯峨

(※後鳥羽の院政)