神代 – 天皇note

14代 仲哀(ちゅうあい)天皇(位192-200)

14代 仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)

生没 ?~200年(享年?)
在位 192~200年(在位9年)

神代

・ヤマトタケルノミコの第2子。

・仲哀天皇の妃は神功皇后(じんぐうこうごう)。神功皇后は天皇として即位していたのではという説もあった。明治時代にお札の肖像画にもなった。

・『日本書紀』には「神功皇后」が「卑弥呼」と同一人物のような書き方もされている。『魏志倭人伝』の「鬼道を行う」などの表記を使っている。

・仲哀天皇は神託に従わなかったので他界したといわれる。仲哀天皇の没後は、神功皇后が、皇子(後の15代応神天皇)の摂政となる。

・武内宿禰(たけうちのすくね)が神功皇后に仕えた。(12代景行天皇から5代の天皇に仕えたので計算上300歳になる?)
『古今著聞集』には、鎌倉幕府2代執権・北条義時が武内宿禰の生まれ変わりという話がある。

 

13代 成務(せいむ)天皇(位131-190)

13代 成務天皇(せいむてんのう)

生没 84~190年(享年107)
在位 131~190年(在位59年)48~107歳

神代

・12代景行天皇の子

・ヤマトタケルノミコトの異母弟

・蘇我氏の祖、武内宿禰(たけのうちのすくね)を大臣(おおおみ)として重用。

・国に造長(みやつこおさ)、県村(あがたむら)に稲置(いなぎ)を置く。

・地方行政に整備に力を注ぎ、天下太平の世が続いたという。

12代 景行(けいこう)天皇(位71-130)

12代 景行天皇(けいこうてんのう)

生没 前13~130年(享年143)
在位 71~130年(在位59年)84~143歳

神代

・11代垂仁天皇の第三皇子。

・景行天皇の皇子は双子。兄は大碓皇子(おおうすのみこ)、弟は小碓尊(おうすのみこと)。

・この弟のオウスノミコト(ヤマトオグナ)が、後にヤマトタケルノミコトとなる。

※『古事記』では「倭建命」、『日本書紀』では「日本武尊」と表記される。

・ヤマトタケルは、熊襲(クマソ)や東国を討伐した。「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」で戦う。

またこのような「国偲び歌」を読んだ。

「倭は国のまほろば たたなづく青垣 山ごもれる 倭しうるはし」

(訳:倭(大和)は国の中で最もすばらしい場所だ。青々とした垣根のように重なり合った山々が取り囲む大和。うるわしき我がふるさとよ。)

ヤマトタケルが亡くなると、魂は白鳥になり大和へ飛んでいったと伝わる。

(映画『日本誕生』)

11代 垂仁(すいにん)天皇(位前29-70)

11代 垂仁天皇(すいにんてんのう)

生没 前69~70年(享年130)
在位 前29~70年(在位99年)41~139歳

神代

・10代崇神天皇の第三皇子。

・伊勢神宮の創始(伊勢五十鈴川のほとりに天照大神を祀った祠を建てさせる)。

・「相撲節会(すまいのせちえ)」が相撲の起源になる。大和国・当麻邑(たぎまむら)の 蹶速(けはや)と、出雲の野見宿禰(のみのすくね)との戦いで野見宿禰が勝つ。

・野見宿禰の提案で、殉死を禁じ、埴輪に変えた。

・皇后・狭穂姫(さほひめ)は、兄・狭穂彦王(さほひこのみこ)の命令で垂仁天皇を短剣で討とうとしたが失敗。垂仁帝は狭穂姫を許そうとしたが、狭穂姫は兄とともに自ら命を絶った。

・垂仁天皇は、田道間守(たじまもり)に、常世国(とこよのくに)(不老不死の理想郷)から、不老不死の妙薬、橘を持ち帰るよう命じた。

 

10代 崇神(すじん)天皇(位前97-前30)

10代 崇神天皇(すじんてんのう)

生没 前148~前30年(享年119)
在位 前97~前30年(在位68年)52~119歳

神代

・「記紀」の記述より、事実上初の初代の天皇とみなし、実在の可能性が高いとされる

・「御肇国天皇(はつくにしらす すめらみこと)」として即位。都を磯城瑞籬宮(しきみずがきのみや)(奈良県・桜井市)に移した。

※「しらす」は「領らす」と書き「統治する」の意味。

・ヤマト政権の創始者という説もある。

・各地に「四道(しどう)将軍」を派遣した。(北陸・東海・西海・丹波)出雲の豪族・振根(ふるね)を征して勢力を広げる。

・灌漑を行って農地を整備するなど善政を行った。

・崇神天皇が「大物主神(おおものぬしのかみ)」を三輪山に祭ると、国中が平和になったという。

 

7代 孝霊(こうれい)天皇(位前290-前215)

7代 孝霊天皇(こうれいてんのう)

生没 前342~前215年(享年128)
在位 前290~前215年(在位年)53~128歳

神代

・欠史八代

・倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)(卑弥呼?)や、四道将軍の一人、吉備津彦命(きびつひこのみこと)の父

 

 

 

5代 孝昭(こうしょう)天皇(位前475-前393)

5代 孝昭天皇(こうしょうてんのう)

生没 前506~前393年(享年114)
在位 前475~前393年(在位83年)32~114歳

神代

・欠史八代。実在したかは不明。

・4代懿徳(いとく)天皇の皇子

・都を腋上(わきのがみ)へ移して、池心宮(いけのごころのみや)(奈良県・御所市・ごせし)を建てる。

 

 

3代 安寧(あんねい)天皇 (位前549-前511)

3代 安寧天皇(あんねいてんのう)

生没 前577~前511年(享年67)
在位 前549~前511年(在位38年)28~67歳

神代

・欠史八代。実在は定かではない。

・父は2代綏靖天皇、母は五十鈴依媛尊(いすずよりひめのみこと)=「事代主神(ことしろぬしのかみ)」の娘。

※「事代主神(ことしろぬしのかみ)」:七福神の恵比寿神と同一視されている。「大国主命(おおくにぬしのみこと)」の子。

※「大国主命(おおくにぬしのみこと)」は出雲大社の神。

 

大国主命(おおくにぬしのみこと)出雲大社

事代主神(ことしろぬしのかみ)

五十鈴依媛尊(いすずよりひめのみこと)=2代・綏靖天皇

3代・安寧天皇

 

2代 綏靖(すいぜい)天皇 (位前581-前549)

2代 綏靖天皇(すいぜいてんのう)

生没 前632~前549年(享年84)
在位 前581年(52歳)~前549年(84歳)(在位32年)

神代

・欠史八代。実在は定かではない。

・初代神武天皇の第3子。腹違いの兄・手研耳命(たぎしみみのみこと)を討って即位したといわれている。

 

初代 神武(じんむ)天皇 (位前660-前585)

初代 神武天皇(じんむてんのう)

生没 前711年~前585年(享年127)
在位 前660年(52歳)~前585年(127歳)(在位75年)

神代
・『古事記』、『日本書紀』に神話としての記述がある。実在かは不明。

・天照大神(アマテラスオオミカミ)の孫である瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の曾孫(ひ孫)。天照大神から5代目の子孫。

・三人の兄とともに、日向国(ひむかのくに)高千穂(宮崎県)から、安芸(広島県)、吉備(岡山県)を経て、大和(奈良県)へ東征した。

このとき八咫烏の導きがあったり、金色の鵄(とび)が弓の上に止まって勝利へ導いたという。

・橿原の地で、前660年(辛酉年・しんゆうねん)1月1日に、初代天皇として即位したといわれている。

現在の太陽暦に換算すると2月11日になり、現在この日は「建国記念の日」と定められている。(日本ができた日というよりは、日本という国ができた「こと」を祝う日。)

・皇后は、媛蹈韛五十鈴媛命(ひめたたら いすずひめのみこと)。名前に「たたら」が入っているため、神武天皇は製鉄技術を押さえたという説がある。

・『日本書紀』に記載されている美称は「始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)」、和風諡号は「神日本磐余彦天皇(かむやまといわれびこのすめらみこと)」など。

・諱(いみな)は彦火火出見(ひこほほでみ)、あるいは狭野尊(さののみこと)、磐余彦尊(いわれびこのみこと)ほか多数。

・神武天皇が、日本を「蜻蛉(あきず)(トンボ)」に例えたことから、日本を「秋津島(あきずしま)」と呼ぶこともある。