平安 – 天皇note

82代 後鳥羽(ごとば)天皇(位1183-1198)

82代 後鳥羽(ごとば)天皇

生没 1180年~1239年(享年60)
在位 1183年(4歳)~1198年(19歳)

平安・鎌倉時代

・兄・安徳天皇が平氏とともに都落ちしたため、三種の神器のないまま異例の即位。鎌倉幕府が開かれ、鎌倉時代が始まる。(1185)

・後鳥羽上皇は、83土御門、84順徳、85仲恭の三代に渡り院政を行う。

・「西面の武士」を設け軍事力を強化。

・『新古今和歌集』を編纂。藤原定家らを選者に任命。

・後鳥羽帝は菊を好み刀剣や衣服を菊で飾った。これが皇室の「菊花紋」の起源となる。

・鎌倉幕府3代将軍・源実朝とも和歌を通じて交流していたが、実朝が暗殺されると幕府との関係は急速に悪化。

・幕府打倒の兵を起こしたが、北条政子率いる幕府軍に敗れ、隠岐に流される(承久の乱1221)

 

80 高倉

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82 後鳥羽            〇   81 安徳
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————————        86 後堀河
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84 順徳 83 土御門        87   四条
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85 仲恭     88 後嵯峨

(※後鳥羽の院政)

 

 

 

81代 安徳(あんとく)天皇(位1180-1185)

81代 安徳(あんとく)天皇

生没 1178年~1185年(享年8)
在位 1180年(3歳)~1185年(8歳)

平安時代

・祖父は平清盛、母は徳子。3歳で即位するも、翌年父・高倉天皇と祖父・平清盛が亡くなる。

・壇ノ浦の合戦で源氏に敗れ、祖母・時子(清盛の妻・二位尼・にいのあま)と共に入水。

 

 

77 白河

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80 高倉             78 二条
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————————————        79 六条
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82 後鳥羽   〇   81 安徳

80代 高倉(たかくら)天皇(位1168-1180)

80代 高倉(たかくら)天皇

生没 1161年~1181年(享年21)
在位 1168年(8歳)~1180年(20歳)

平安時代

・後白河上皇の意向で甥の六条帝から譲位され8歳で即位。平清盛が実権を握る。

・清盛の娘・徳子(後の建礼門院)が中宮となる。

・平氏が福原に遷都。

 

77後白河

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80高倉               78二条
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————————————    79六条
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82後鳥羽    〇   81安徳

79代 六条(ろくじょう)天皇(位1165-1168)

79代 六条(ろくじょう)天皇

生没 1164年~1176年(享年13)
在位 1165年(2歳)~1168年(5歳)

平安時代

・歴代最年少の7カ月で即位。

・摂政・藤原基実が、義父平清盛の支援のもと政治を主導。基実の没後は、六条帝の祖父・後白河上皇による院政が行われる。

・在位3年で叔父の高倉天皇に譲位。8年後、13歳の生涯を閉じた。

 

77後白河

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80高倉               78二条
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————————————    79六条
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82後鳥羽    〇   81安徳

78代 二条(にじょう)天皇(位1158-1165)

78代 二条(にじょう)天皇

生没 1143年~1165年(享年23)
在位 1158年(16歳)~1165年(23歳)

平安時代

・後白河天皇の譲位で即位。

・平治の乱(1159)で、源義朝に幽閉されたが、平清盛に救出される。

・父・後白河の院政には批判的で、関白・藤原基真(もとざね)を相談役として、親政を進めた。

・皇后・藤原多子(たし/まさるこ)は、かつて76代近衛天皇の皇后でもあったことから『平家物語』に「二代の后(にだいのきさき)」と記される。

72白河

73堀河

74鳥羽

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76近衛    77後白河   75崇徳
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80高倉               78二条 
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————————————    79六条
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82後鳥羽    〇   81安徳

 

77代 後白河(ごしらかわ)天皇(位1155-1158)

77代 後白河(ごしらかわ)天皇

生没 1127年~1192年(享年66)
在位 1155年(29歳)~1158年(32歳)

平安時代

・78代二条帝から82代後鳥羽帝まで5代、三十余年にわたり「治天の君」として院政を行う。(子・・78二条、80高倉 孫・・79六条、81安徳、82後鳥羽)

・「今様(いまよう)」(当時の流行歌謡)に没頭。『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』を編纂する。

・平清盛と組んで実権を握るが、その後清盛と対立し、クーデターで幽閉される。

・平家没後、実権を取り戻す。平氏に焼き討ちされた東大寺の大仏を、僧・重源(ちょうげん)指導のもと復興させた。

・今度は源頼朝に政局の主導権を握られ、武家政権の樹立と公家の衰退を招いた。

 

72白河

73堀河

74鳥羽

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76近衛    77後白河    75崇徳
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80高倉               78二条 
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————————————    79六条
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82後鳥羽    〇   81安徳    

(※緑字:後白河の院政)

 

 

76代 近衛(このえ)天皇(位1141-1155)

76代 近衛(このえ)天皇

生没 1139年~1155年(享年17)
在位 1141年(3歳)~1155年(17歳)

平安時代

・崇徳帝の譲位を受けて3歳で即位。

・近衛天皇の父・鳥羽天皇が院政を行う。

・関白藤原忠通と頼長の兄弟が摂関の地位をめぐって対立。

・病のため17歳で早世。

 

72白河

73堀河

74鳥羽

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76近衛    77後白河    75崇徳

 

 

75代 崇徳(すとく)天皇(位1123-1141)

75代 崇徳(すとく)天皇

生没 1119年~1164年(享年46)
在位 1123年(5歳)~1141年(23歳)

平安時代

・実夫は白河天皇であったとされ鳥羽天皇からは「叔父子」と呼ばれ疎まれたという。

・院政への道を絶たれた崇徳は後白河天皇、関白・藤原忠通と敵対し、保元の乱が勃発。(1156)

・敗れた崇徳は讃岐(香川)に流され、8年後に亡くなる。

・百人一首(77「せをはやみ」)

             勝 〇    負 ✕
〇 後白河天皇(弟)     VS ✕ 崇徳上皇(兄)(77
〇 藤原忠通(兄)(76 ✕ 藤原頼長(弟)
〇 平清盛(おい) ✕ 平忠正(叔父)
〇 源義朝(兄) ✕ 源為義(父)・源為朝(弟)

 

72白河

73堀河

74鳥羽

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76近衛    77後白河    75崇徳

 

74代 鳥羽(とば)天皇(位1107-1123)

74代 鳥羽(とば)天皇

生没 1103年~1156年(享年54)
在位 1107年(5歳)~1123年(21歳)

平安時代

・急逝した父・堀河帝に代わり5歳で即位。白河院政が実権を握る。

・鳥羽帝の皇后・待賢門院璋子と祖父白河帝との子と言われる崇徳を冷遇した。

・中世的な荘園公領制が確立。

 

72白河

73堀河

74鳥羽

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76近衛    77後白河    75崇徳

 

73代 堀河(ほりかわ)天皇(位1086-1107)

73代 堀河(ほりかわ)天皇

生没 1079年~1107年(享年29)
在位 1086年(8歳)~1107年(29歳)

平安時代

・父・白河天皇の譲位を受けて8歳で即位。白河院政の傀儡であった。

・音楽を愛好し、笛の名手でもあった。

・『讃岐典侍日記(さぬきのすけにっき)』は堀河天皇に仕えた讃岐典侍(藤原長子)による日記文学。堀河天皇のことが多く描かれている。

 

72白河

73堀河

74鳥羽

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76近衛    77後白河    75崇徳

 

72代 白河(しらかわ)天皇(位1072-1086)

72代 白河(しらかわ)天皇

生没 1053年~1129年(享年77)
在位 1072年(20歳)~1086年(34歳)

平安時代

・退位後も上皇として40年以上院政を行う。(73堀河、74鳥羽、75崇徳まで)

・「北面の武士(直属軍)」を設置。有力寺社の強訴に対応した。

・「賀茂川の水、双六の賽、山法師」だけは思い通りにならないと言った。

・法勝寺(ほっしょうじ)を建立(八角九重の塔)

 

72白河

73堀河

74鳥羽

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76近衛    77後白河    75崇徳

 

71代 後三条(ごさんじょう)天皇(位1068-1072)

71代 後三条(ごさんじょう)天皇

生没 1034年~1073年(享年40)
在位 1068年(35歳)~1072年(39歳)

平安時代

・頼道と婚戚関係を持たず冷遇されていたが、兄の後冷泉帝の崩御により35歳で即位。

・170年ぶりに藤原氏を外戚としない天皇となった。摂関家に気兼ねなく大胆な改革を行った。

・「延久の荘園整理令」を発布(1069)。記録書を設け、摂関家領も含め荘園を厳しく審査・没収し、国家財政の強化を目指した。

・宣旨升(せんじます)を評定の公定枡とした(1072)。その後、鎌倉時代まで共通の単位として全国で広く利用された。

・家格にとらわれず、有能な中下級貴族を登用した。

 

70代 後冷泉(ごれいぜい)天皇(位1045-1068)

70代 後冷泉(ごれいぜい)天皇

生没 1025年~1068年(享年44)
在位 1045年(21歳)~1068年(44歳)

平安時代

・先帝の後朱雀帝と藤原嬉子の第一皇子。

・関白・藤原頼道が権力を握る。

・蹴鞠や和歌の会、管弦など風雅な遊びを好み、政治には関心を示さなかった。

・「前九年の役」が始まる(1051)
(源頼義が奥州の豪族安倍氏を追討した戦い。源氏の勢力が関東に及ぶ契機となった。)

 

69代 後朱雀(ごすざく)天皇(位1036-1045)

69代 後朱雀(ごすざく)天皇

生没 1009年~1045年(享年37)
在位 1036年(28歳)~1045年(37歳)

平安時代

・兄・後一条天皇の譲位で即位。政治の実権は関白・藤原頼通(道長の息子)らに握られていた。

・比叡山で最澄の弟子の円仁と円珍が対立し、京にも飛び火した。後朱雀帝はこれを自分のせいだと嘆いたという。

・疱瘡にかかり、出家後まもなく崩御。

 

68代 後一条(ごいちじょう)天皇(位1016-1036)

68代 後一条(ごいちじょう)天皇

生没 1008年~1036年(享年29)
在位 1016年(9歳)~1036年(29歳)

平安時代

・一条帝と中宮彰子の皇子の敦成(あつひら)親王(後一条天皇)が9歳で即位。

・祖父の藤原道長に擁立された。道長は摂政となり政治を主導した。

・後一条帝が11歳の時、9歳年上の叔母(道長の三女)の威子(いし/たけこ)を中宮に迎える。

・29歳で崩御。

 

67代 三条(さんじょう)天皇(位1011-1016)

67代 三条(さんじょう)天皇

生没 976年~1017年(享年42)
在位 1011年(36歳)~1016年(41歳)

平安時代

・冷泉帝の第二皇子

・藤原道長は敦成(あつひら)親王(後一条天皇)の擁立を望んでいたため、三条帝はその中継ぎでしかなかった。

・眼病の悪化と道長からの圧力で、譲位し出家した。

・百68「心にも」(後拾遺和歌集)

65代 花山(かざん)天皇(位984-986)

65代 花山(かざん)天皇

生没 968年~1008年(享年41)
在位 984年(17歳)~986年(19歳)

平安時代

・円融帝から皇太子に譲位。諸貞親王(花山天皇)が17歳で即位。

・女御の藤原忯子(しし)が亡くなると出家を望むようになり、藤原兼家、道兼の策略にはまり出家した。

 

64代 円融(えんゆう)天皇(位969-984)

64代 円融(えんゆう)天皇

生没 959年~991年(享年33)
在位 969年(11歳)~984年(26歳)

平安時代

・冷泉帝の弟、守平親王(円融天皇)が11歳で即位。摂政は藤原実頼、藤原兼家など。

・藤原師輔の子である、兄・兼通と、弟・兼家の兄弟の権力争いに振り回された。

・弟・兼家の娘、詮子(せんし)との間に皇子、懐仁(やすひと)親王が生まれる。後の一条帝。

・円融帝は疲弊し、花山天皇に譲位。

63代 冷泉(れいぜい)天皇(位967-969)

63代 冷泉(れいぜい)天皇

生没 950年~1011年(享年62)
在位 967年(18歳)~969年(20歳)

平安時代

・藤原忠平の子、藤原実頼・師輔兄弟が権力を握る。

・藤原氏が源高明を謀反の罪を着せて排斥する。(安和の変・969)

・冷泉帝は1日中蹴鞠に明け暮れるなどの奇行があったといわれている。