tennounote01net – ページ 4 – 天皇note

76代 近衛(このえ)天皇(位1141-1155)

76代 近衛(このえ)天皇

生没 1139年~1155年(享年17)
在位 1141年(3歳)~1155年(17歳)

平安時代

・鳥羽天皇の第九皇子。

・75代崇徳帝の譲位を受けて、3歳で即位。近衛天皇の父・74代鳥羽天皇が院政を行う。

・関白藤原忠通と藤原頼長の兄弟が、摂関の地位をめぐって対立。

・病のため17歳で早世。

 

72白河

73堀河

74鳥羽

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76近衛    77後白河    75崇徳

 

 

75代 崇徳(すとく)天皇(位1123-1141)

75代 崇徳(すとく)天皇

生没 1119年~1164年(享年46)
在位 1123年(5歳)~1141年(23歳)

平安時代

・鳥羽天皇の第一皇子、顕仁(あきひと)親王が、父からの譲位で5歳で即位。

・崇徳帝の実の父は、曾祖父の白河天皇であったとされ、鳥羽天皇からは「叔父子」と呼ばれ疎まれたという。

・院政への道を絶たれた崇徳は藤原頼長と結び、崇徳の弟の後白河天皇や、関白・藤原忠通と敵対し、「保元の乱(1156)」が勃発した。

・敗れた崇徳は讃岐(香川)に流され、8年後に亡くなる。

・百人一首(77「せをはやみ」)

             勝 〇    負 ✕
〇 後白河天皇(弟)     VS ✕ 崇徳上皇(兄)(77
〇 藤原忠通(兄)(76 ✕ 藤原頼長(弟)
〇 平清盛(おい) ✕ 平忠正(叔父)
〇 源義朝(兄) ✕ 源為義(父)・源為朝(弟)

 

72白河

73堀河

74鳥羽

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76近衛    77後白河    75崇徳

 

74代 鳥羽(とば)天皇(位1107-1123)

74代 鳥羽(とば)天皇

生没 1103年~1156年(享年54)
在位 1107年(5歳)~1123年(21歳)

平安時代

・73代堀河天皇の第一皇子、宗仁(むねひと)親王。

・急逝した父・堀河帝に代わり5歳で即位。しかし依然、白河院政が実権を握る。

・従来の荘園整理の方針を転換。多くの新立荘園を認め、中世的な「荘園公領制」が確立した。

・皇太子の顕仁(あきひと)親王(後の75代崇徳天皇)は、鳥羽帝の皇后・待賢門院璋子と、鳥羽帝の祖父・白河帝の子であったため、鳥羽帝は崇徳を冷遇した。

・寵姫の玉藻前(たまものまえ)は九尾の狐であったという伝説が残る。下野国(栃木)那須の殺生石。

 

72白河

73堀河

74鳥羽

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76近衛    77後白河    75崇徳

 

73代 堀河(ほりかわ)天皇(位1086-1107)

73代 堀河(ほりかわ)天皇

生没 1079年~1107年(享年29)
在位 1086年(8歳)~1107年(29歳)

平安時代

・72代白河天皇の第二皇子、善仁(たるひと)親王。

・父・白河天皇の譲位を受けて8歳で即位。白河院政の傀儡であった。

・音楽を愛好し、笛の名手でもあった。『懐竹抄(かいちくしょう)』には、堀河帝が夜通し笛を吹いたという逸話が残されている。

・『讃岐典侍日記(さぬきのすけにっき)』は、堀河天皇に仕えた讃岐典侍(藤原長子)による日記文学。堀河天皇のことが多く描かれている。

 

72白河

73堀河

74鳥羽

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76近衛    77後白河    75崇徳

 

72代 白河(しらかわ)天皇(位1072-1086)

72代 白河(しらかわ)天皇

生没 1053年~1129年(享年77)
在位 1072年(20歳)~1086年(34歳)

平安時代

・71代後三条天皇の第一皇子、貞仁(さだひと)親王。

・15年に及ぶ親政を行い、退位後も上皇として40年以上の「院政」を行う。(73堀河、74鳥羽、75崇徳まで)。

・「院政」という新たな政治形態を生み出した。藤原氏による摂関政治では天皇の母系が権力を握っていたが、院政では天皇の父系に移った。

・父の後三条天皇が藤原氏から離れて政治を行ない、白河天皇はさらに勢いに乗じて自由に政治の実権を振るった。

・「北面の武士(直属軍)」を設置。有力寺社の強訴に対応した。

・「賀茂川の水、双六の賽、山法師」だけは思い通りにならないと言った。

・「法勝寺(ほっしょうじ)」を建立(八角九重の塔)。

 

72白河

73堀河

74鳥羽

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76近衛    77後白河    75崇徳

 

71代 後三条(ごさんじょう)天皇(位1068-1072)

71代 後三条(ごさんじょう)天皇

生没 1034年~1073年(享年40)
在位 1068年(35歳)~1072年(39歳)

平安時代

・後朱雀天皇の第二皇子、尊仁(たかひと)親王。

・関白・藤原頼通と婚戚関係を持っていないため冷遇されていたが、兄の後冷泉帝(70代)の崩御により、35歳で即位。

・宇多天皇(59代)以来、170年ぶりに藤原氏を外戚としない天皇となった。摂関家に気兼ねなく大胆な改革で、親政を行なった。

・「延久の荘園整理令」を発布(1069)。令外官の一つ「記録所(記録荘園券契所)」を設け、摂関家領も含め、荘園を厳しく審査・没収し、国家財政の強化を目指した。→藤原氏の財源減で、藤原氏の衰退へとつながる。

・「宣旨升(せんじます)」を評定の公定枡とした(1072)。その後、鎌倉時代まで共通の単位として全国で広く利用された。

・家格にとらわれず、有能な中下級貴族を登用した。(大江匡房など)

 

70代 後冷泉(ごれいぜい)天皇(位1045-1068)

70代 後冷泉(ごれいぜい)天皇

生没 1025年~1068年(享年44)
在位 1045年(21歳)~1068年(44歳)

平安時代

・69代後朱雀帝と藤原嬉子(道長の娘。4人目の入内。)の第一皇子。

・関白・藤原頼通(宇治殿)が権力を握る。

・蹴鞠や和歌の会、管弦など風雅な遊びを好み、政治には関心を示さなかった。

・「前九年の役」が始まる(1051)。(源頼義が奥州の豪族・安倍氏を追討した戦い。源氏の勢力が関東に及ぶ契機となった。)

 

69代 後朱雀(ごすざく)天皇(位1036-1045)

69代 後朱雀(ごすざく)天皇

生没 1009年~1045年(享年37)
在位 1036年(28歳)~1045年(37歳)

平安時代

・一条天皇の第三皇子、敦良(あつなが)親王。母は彰子(道長の娘)。

・兄・68代後一条天皇の譲位で即位。政治の実権は、関白・藤原頼通(道長の息子)らに握られていた。

・比叡山で、最澄の弟子の円仁と円珍が対立し、京にも飛び火した。後朱雀帝はこれを自分のせいだと嘆いたという。

・疱瘡にかかり、出家後まもなく崩御。

 

68代 後一条(ごいちじょう)天皇(位1016-1036)

68代 後一条(ごいちじょう)天皇

生没 1008年~1036年(享年29)
在位 1016年(9歳)~1036年(29歳)

平安時代

・66代一条天皇の第二皇子、敦成(あつひら)親王。母は彰子(上東門院)(道長の娘)。

・三条天皇から譲位され、9歳で即位。

・祖父の藤原道長に擁立された。道長は摂政となり政治を主導した。

・後一条帝が11歳の時、8歳年上の叔母(道長の三女)の威子(いし/たけこ)を中宮に迎える。この時代には珍しく、ほかに妃を持たなかった。

・29歳で崩御。

 

67代 三条(さんじょう)天皇(位1011-1016)

67代 三条(さんじょう)天皇

生没 976年~1017年(享年42)
在位 1011年(36歳)~1016年(41歳)

平安時代

・63代冷泉帝の第二皇子、居貞(おきさだ)親王。

・藤原道長は、自身の孫の敦成(あつひら)親王(68代後一条天皇)の擁立を望んでいたため、三条帝はその中継ぎでしかなかった。

・眼病の悪化と道長からの圧力で、譲位し出家した。

・百人一首(68)「心にも」04『後拾遺和歌集』

 

66代 一条(いちじょう)天皇(位986-1011)

66代 一条(いちじょう)天皇

生没 980年~1011年(享年32)
在位 986年(7歳)~1011年(32歳)

平安時代

・64代 円融帝と詮子(せんし)(藤原兼家の娘)の第一皇子、懐仁(やすひと)親王(一条天皇)。

・祖父の藤原兼家が摂政となる。没後は兼家の子の道隆、道兼が摂政、関白となり、その後、道長が左大臣となり実権を握った。

・一条天皇にはすでに皇后の定子がいたが、藤原道長が娘の彰子を中宮とした。(一帝二妃)

・一条帝は温和な人柄で学を好み、延臣の信頼を集めた。四納言と呼ばれる藤原斉信、公任、行成、源俊賢らの才人が政務を助けた。

 

65代 花山(かざん)天皇(位984-986)

65代 花山(かざん)天皇

生没 968年~1008年(享年41)
在位 984年(17歳)~986年(19歳)

平安時代

・冷泉天皇の第一皇子である諸貞(もろさだ)親王が、64代 円融帝から譲位され、17歳で即位した。

・花山天皇が即位したときには、後ろ盾だった外祖父の藤原伊尹(これただ/兼家の兄/謙徳公(45))はすでに亡くなっており、伊尹の弟の兼家の時代であった。

・女御の藤原忯子(しし)が亡くなると出家を望むようになり、藤原兼家、道兼の策略にはまり出家した。

・出家後は仏道に励んだことで、西国巡礼の祖ともいわれる。

・和歌、絵画、建築、工芸、造園などにも非凡の才能を示した。

・花山天皇は『大和物語』(歌物語)の作者との説もある。

・『拾遺和歌集(しゅういわかしゅう)』(第三番目の勅撰和歌集・三代集の最後)の撰者か。(藤原公任(55)との説もあり)。

64代 円融(えんゆう)天皇(位969-984)

64代 円融(えんゆう)天皇

生没 959年~991年(享年33)
在位 969年(11歳)~984年(26歳)

平安時代

・村上天皇の第五皇子、守平(もりひら)親王。

・兄の63代 冷泉帝から譲位され、11歳で即位(円融天皇)。

・摂政は藤原実頼(忠平の長男)、藤原師輔(忠平の次男)の長男・伊尹(これただ)、師輔の三男・兼家など。

・円融帝は、兼通(藤原師輔の次男)と、兼家(三男)の、兄弟の権力争いに振り回された。円融帝と兼家は折り合いが悪かった。

・兼家の娘、詮子(せんし)との間に、皇子、懐仁(やすひと)親王が生まれる。(後の66代 一条帝)。

・円融帝は疲弊し、65代花山天皇に譲位。

<藤原摂関家>

基経

忠平
______
|    |
師輔   実頼

__________
|    |   |
兼家   兼通  伊尹

 

63代 冷泉(れいぜい)天皇(位967-969)

63代 冷泉(れいぜい)天皇

生没 950年~1011年(享年62)
在位 967年(18歳)~969年(20歳)

平安時代

・村上天皇の第二皇子、憲平(のりひら)親王が18歳で即位。

・藤原実頼(藤原忠平(26)の長男)と、師輔(もろすけ・忠平の次男)兄弟が権力を握っていた背景があり、第二皇子であった憲平親王を擁立した。

・藤原実頼(さねより)が関白となり、再び藤原氏の摂関政治が始まった。

・冷泉帝の母は師輔の娘・安子(あんし)。

・藤原氏が源高明(みなもとのたかあきら)に謀反の罪を着せて排斥する。(安和の変/あんなのへん・969)

・冷泉帝は1日中蹴鞠に明け暮れることもあったという。

 

62代 村上(むらかみ)天皇(位946-967)

62代 村上(むらかみ)天皇

生没 926年~967年(享年42)
在位 946年(21歳)~967年(42歳)

平安時代

・60代 醍醐天皇の第14皇子、成明(なりあきら)親王が、兄の61代 朱雀帝からの譲位により即位。

・関白・藤原忠平の没後は、摂政・関白は置かず、親政を行なう。

・徴税を徹底し、贅沢を禁じて倹約令を出すなど、財政の健全化をめざし「天暦の治(てんりゃくのち)」と称えられた。

・「村上源氏」の祖となる。「村上源氏」は後の宮廷政治に大きな影響を与えた。

・文学にも秀で『後撰和歌集』(二番目の勅撰和歌集)を編纂。詞書きが長く、贈答歌が多い。

「天徳内裏歌合わせ」を開催(960)。(40「しのぶれど」と41「恋すてふ」は、甲乙付けがたく、かろうじて40「しのぶれど」が勝ったという。)

・琴・琵琶などの楽器にも精通し、平安文化を開花させた。

 

61代 朱雀(すざく)天皇(位930-946)

61代 朱雀(すざく)天皇

生没 923年~952年(享年30)
在位 930年(8歳)~946年(24歳)

平安時代

・醍醐天皇の第11皇子の寛明(ゆたあきら)親王が即位する(朱雀天皇)。

・藤原基経の子・藤原忠平(26貞信公)が摂政・関白となる。

・朱雀帝は性格が温和で、忠平との関係もよく、この間に摂関政治の基礎ができたという。

・平将門の乱(939)、藤原純友の乱(941)が起こる。(承平・天慶の乱/じょうへい・てんぎょうのらん)。

・富士山の噴火、地震などの天変地異に見舞われる。

・朱雀帝には二人の女御がいたが、どちらにも子が生まれず、15年間皇太子不在だった。

 

60代 醍醐(だいご)天皇(位897-930)

60代 醍醐(だいご)天皇

生没 885年~930年(享年46)
在位 897年(13歳)~930年(46歳)

平安時代

・臣籍降下していた源定省(宇多天皇)の第一皇子、源維城(これざね/これき)。

・父・宇多天皇の即位とともに皇族の身分を得て、敦仁(あつぎみ)親王となり皇太子に。父から譲位され13歳で即位。

・摂政・関白を置かず親政を行う。「延喜の治(えんぎのち)」と称された。

・『日本三代実録』(六国史の6番目)や、『古今和歌集』の編纂を行う。

・当初は菅原道真を重用していたが、藤原時平の讒言(ざんげん)により、道真を太宰府に左遷した(昌泰の変・しょうたいのへん・901)。

これにより再び藤原氏が権力を握ることとなった。

 

 

59代 宇多(うだ)天皇(位887-897)

59代 宇多(うだ)天皇

生没 867年~931年(享年65)
在位 887年(21歳)~897年(31歳)

平安時代

・58代 光孝天皇の第7皇子・源定省(みなもとのさだみ)。

臣籍に下っていたが、光孝天皇が病に倒れたため、急遽、親王に復されて皇太子となる。(臣籍降下から復活して皇位に付いた唯一の例)。光孝帝崩御により即位。

・藤原基経とは折り合いが悪く、阿衡の紛議(887)などで衝突。

・基経の死後、宇多帝は親政を開始。(「寛平の治」)。

菅原道真を登用し、遣唐使の廃止(894)、私営田の抑制、地方への監察官の派遣など、積極的な改革を行う。

・醍醐天皇に譲位。初の法皇(出家した上皇)となる。

・父、光孝天皇からもらった黒猫を可愛がっていたことが、宇多帝の日記、『宇多天皇御記(ぎょき)』(『寛平御記(かんぴょうぎょき)』)に記されている。

 

58代 光孝(こうこう)天皇(位884-887)

58代 光孝(こうこう)天皇

生没 830年~887年(享年58)
在位 884年(55歳)~887年(58歳)

平安時代

・54代 仁明天皇の第三皇子、時康親王。藤原基経に擁立され、57代 陽成帝より譲位され即位。

・政治は基経に任せていた。

・即位後3年余りで病により崩御。

・百人一首15「君がため 春」(時康親王時代)

 

57代 陽成(ようぜい)天皇(位876-884)

57代 陽成(ようぜい)天皇

生没 868年~949年(享年82)
在位 876年(9歳)~884年(17歳)

平安時代

・56代清和天皇の第一皇子、貞明(さだあきら)親王。母は藤原高子(二条后)。

・9歳で即位。藤原基経が摂政となる。

・性格が荒々しく奇行が絶えないといわれることもあり、16歳で皇位を廃された。

・その後は65年間も上皇の座を保つほど長寿であった。

・百人一首13「つくばねの