126代 今上(きんじょう)天皇陛下
生誕 1960年
在位 2019年(59歳)~
令和時代
・徳仁(なるひと)天皇陛下。ご称号は浩宮(ひろのみや)。
・2019年に明仁天皇陛下より譲位。「令和」に改元された。生前退位は約200年ぶり。
・皇后・雅子様
126代 今上(きんじょう)天皇陛下
生誕 1960年
在位 2019年(59歳)~
令和時代
・徳仁(なるひと)天皇陛下。ご称号は浩宮(ひろのみや)。
・2019年に明仁天皇陛下より譲位。「令和」に改元された。生前退位は約200年ぶり。
・皇后・雅子様
125代 上皇陛下(じょうこうへいか)
生誕 1933年
在位 1989年(55歳)~2019年(85歳)(在位30年)
平成時代
・明仁(あきひと)上皇陛下。ご称号は継宮(つぐのみや)。
・昭和天皇の第5子、初の皇子として誕生。1989年(昭和64年)1月7日に昭和天皇崩御により即位し「平成」に改元。
・上皇后・美智子様。皇太子妃はそれまでは皇族か特定の華族から選ぶのが習わしであったが、初めて民間出身の皇太子妃が誕生した。新しい時代の到来を感じるできごとであった。
・阪神淡路大震災や東日本大震災など数々の自然災害に見舞われたが、その度に被災者を慰め励ます両陛下のお姿があった。
・日本魚類学会に属するハゼの研究者。
・「外国(とつくに)の旅より帰る日の本の空赤くして富士の峰立つ」(平成5年の御製)
124代 昭和(しょうわ)天皇
生没 1901~1989年(享年87)
在位 1926(25歳)~1989(87年)(在位62年)
昭和
・裕仁(ひろひと)親王。大正天皇の第一皇子。
・1926年(大正15年)12月25日、大正天皇崩御により即位。元号が「昭和」となる。
・満州事変(1931)、日中戦争(1937)が勃発、太平洋戦争(1941)に突入する激動の時代となる。昭和天皇は軍部の拡大方針にはためらいを示していた。
・戦後「人間宣言」を発する。天皇は日本国の象徴となる。
・皇后・久邇宮良子(くにのみやながこ)皇后。
123代 大正(たいしょう)天皇
生没 1879年~1926年(享年47)
在位 1912年(32歳)~1926年(47歳)(在位15年)
大正時代
・明治天皇の第3皇子、明宮嘉仁(はるのみや・よしひと)親王。幼少から病気がちであった。
・日本全国へ行幸するようになり、人々にも気軽に声をかけたという。
・大韓帝国にも訪れ、日本史上初の外遊も果たした。
・漢詩が趣味で1300首以上の詩が確認される。
・1914年、第一次世界大戦が勃発。日本も参戦しドイツ領の青島を攻略した。
・大戦後、大正天皇は体調がすぐれず、1921年(大正10年)から皇太子の裕仁親王(20歳)が摂政となる。
122代 明治(めいじ)天皇
生没 1852年~1912年(享年59)
在位 1867年(14歳)~1912年(59歳)(在位45年)
明治時代
・孝明天皇の第二皇子である睦仁(むつひと)親王が16歳で即位。
・大政奉還(王政復古)が宣言され、「明治」に改元が行われた。「一世一元の制」も布告された。
・強力な中央集権国家造り、富国強兵により、日本は列強国の一員となる。(東京奠都、版籍奉還、廃藩置県)
・学制の制定、徴兵令、地租改正など、近代日本の基礎を作った。
・維新の三英傑、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允らが明治天皇を補佐した。
・1889年「大日本帝国憲法」発布。
・日清戦争(1912)では、明治天皇は宣戦を本意ではないとして、勅使派遣を拒否。開戦してからは大本営に詰めた。
・日露戦争(1904)開戦。このときも明治天皇は戦争回避の意向をもっていた。
・1912年(明治45年)59歳で崩御。
・1920年、明治天皇をまつる「明治神宮」が建設された。
・明治天皇の誕生日11月3日は「明治節」となり、今は「文化の日」となっている。
121代 孝明(こうめい)天皇
生没 1831年~1866年(享年36)
在位 1846年(16歳)~1866年(36歳)
江戸時代
・仁孝天皇の第四皇子、統仁(おさひと)親王が16歳で即位。
・即位から7年、黒船来航に始まる動乱の時代が始まる。孝明天皇は外国を打ち払う「攘夷」の意思を示す。
・江戸幕府大老・井伊直弼が勅許を得ず「日米通商条約(1858)」を調印したことに怒りを表明。水戸藩に幕政改革を求める密勅を送る。
・井伊直弼が暗殺されると、幕府は朝廷と協力する「公武合体」路線を取る。孝明はこれに応じ、妹の和宮を14代将軍・徳川家茂に降嫁させる。
・しかしもはや攘夷は現実的ではなく、長州と薩摩が倒幕を目指す中、孝明天皇は疱瘡(天然痘)で急死。一説には暗殺説もささやかれている。
120代 仁孝天皇(にんこう)
生没 1800年~1846年(享年47)
在位 1817年(18歳)~1846年(47歳)
江戸時代
・父・119代光格天皇の譲位を受けて18歳で即位。
・学問を好み『日本書紀』や和歌の勉強会を催す。
・平安時代の「大学寮」のような教育機関の復活をめざした。生前には実現しなかったが、後に完成し「学習院」の前身になった(1847)
・父の光格帝と同じく、仁孝天皇も古儀の復興に熱心で、58代光孝天皇以来の950年ぶりに諡号(生前の行いを尊んで贈る名)を復活させた。
・アヘン戦争(1840)によって、清(中国)がイギリスの植民地となり、日本にも欧米の艦船がたびたび来るようになった。
119代 光格(こうかく)天皇
生没 1771年~1840年(享年70)
在位 1779年(9歳)~1817年(47歳)
江戸時代
・118代 後桃園天皇が皇子を残さず早世したため、閑院宮家から光格天皇が即位。
・光格天皇の家系が現代の皇室までつながっている。
・朝廷の権威復活を図る。幕府にも強い態度で臨み、政治領域にも踏み込んでいる。
・円満な人柄で、質素を好んで飾ることを嫌い、民のための任聴を旨とした。
・1782年(天明2年)、天明の大飢饉では、幕府に申し入れて民衆の救済をはかった。
118代 後桃園(ごももぞの)天皇
生没 1758年~1779年(享年22)
在位 1770年(13歳)~1779年(22歳)
江戸時代
・叔母の後桜町天皇(117代)の譲位を受けて13歳で即位。
・当時は徳川十代将軍・家治の時代で、老中・田沼意次が実権を握っていた。幕府は朝廷の経理に直接介入してくるようになる。
・後桃園天皇は22歳の若さで崩御。皇子もいなかったため、閑院宮家の119代光格天皇へ譲位された。
・日記八冊が遺されている。
117代 後桜町(ごさくらまち)天皇
生没 1740年~1813年(享年74)
在位 1762年(23歳)~1770年(32歳)
江戸時代
・119年ぶりの女帝(明正天皇(109代 位1629-1643)以来)。
・桃園天皇(116代)が若くして崩御したおり、後継者の英仁親王(118代 後桃園天皇)はまだ5歳だったため、桃園帝の姉の後桜町天皇が即位した。
・8年の在位を見事に果たす。慈悲深い人格者として知られ、天明の飢饉(1782)には被災者にりんごを配るなどした。
・文筆にすぐれ、歌道の名人としても知られる。
116代 桃園(ももぞの)天皇
生没 1741年~1762年(享年22)
在位 1747年(7歳)~1762年(22歳)
江戸時代
・115代 桜町天皇の第一皇子。7歳で即位。
・幼少期から学問を好み、特に漢学に造詣が深かった。
・国学者で神道家の竹内式部から激烈な「尊王論」(天皇を神聖なものとして敬う思想)を学んだ。
→幕府との関係が悪化するのではとの懸念が広がり、摂関家が幕府と協力して、竹内式部に圧力をかけ、排除した。(宝暦事件1758)
・22歳の若さで崩御。
115代 桜町(さくらまち)天皇 在1736年~
生没 1720年~1750年(享年31)
在位 1735年(16歳)~1747年(28歳)
江戸時代
・元旦生まれ。誕生したときは宮中が喜びに包まれたという。
・補佐役の右大臣一条兼香(かねよし)の日記には、桜町帝は和歌や蹴鞠を好んだとある。
・徳川幕府は8代吉宗、9代家重の時代で、世情は比較的平穏であり、朝廷と幕府の関係も円滑であった。
・先代に中断された「大嘗祭」を再び復活させた。「新嘗祭」、「七社奉幣使(しちしゃほうへいし)」など、他の儀礼も復活させた。
・和歌を好み『桜町院御集』を残しているが、天皇としての自覚を詠んだものが多い。
・31歳で病没。
114代 中御門(なかみかど)天皇
生没 1701年~1737年(享年37)
在位 1709年(9歳)~1735年(35歳)
江戸時代
・9歳で即位したが、半年後に父・113代東山天皇が急死したため、祖父の112代霊元天皇が院政を行った。
・中御門天皇の治世は、徳川幕府でいうと6代家宣、7代家継、8代吉宗の時代。
・朝幕関係はすこぶる良好で、閑院宮家の創立などもすんなりと運んだ。
・8代将軍・吉宗が「享保の改革」を進め、幕府財政が改善。吉宗は有職故実(ゆうそくこじつ/朝廷の儀式や慣例の研究)にも理解があり、朝儀の再興が進む。
・112代霊元天皇の娘、吉子内親王を、江戸幕府・7代将軍・徳川家継に降嫁させることを決定。家継は早逝したため実現しなかったが、初めての降嫁は大きな決断だったといえる。
・管弦、和歌、書道、に通じ、特に笛は天下一品で、狐までも間近にきて聞き入っていたという。
・「中御門」は「待賢門」の別称から。天皇の御所が近かったため。
113代 東山(ひがしやま)天皇
生没 1675年~1709年(享年35)
在位 1687年(13歳)~1709年(35歳)
江戸時代
・父の112代霊元天皇より譲位を受けて即位。父とは逆の穏和な性格であったという。
・父の代に続いて幕府との関係は良好で、安定した治世であった。
・財政支援を得て御料(ごりょう)(皇室領)が増え、朝儀や祭祀の再興が進んだ。
・元禄文化が花開いた時代で、5代綱吉の「生類憐みの令」や赤穂浪士の討ち入りなどがあった。
・徳川6代将軍・家宣の近臣、新井白石の提案や、関白・近衛基煕(このえもとひろ)の働きにより「閑院宮家(かんいんのみやけ)」が創設される。東山天皇の第6皇子(直仁(なおひと)親王)が入った。
112代 霊元(れいげん)天皇
生没 1654年~1732年(享年79)
在位 1663年(10歳)~1687年(34歳)
江戸時代
・108代 後水尾天皇の十九皇子。異母兄の110代 後光明天皇の養子となり、後継者として育つ。
・111代 後西天皇から譲位され、10歳で即位。
・剛毅(ごうき)(意志が堅く、物事にひるまない)な性格であったという。
・即位18年目、霊元天皇28歳で、父の108代 後水尾天皇が崩御すると、親政を開始。朝仁親王(113代東山天皇)を立太子した。霊元帝は、約50年間実力者として君臨した。
・5代将軍・徳川綱𠮷から援助を受けて、221年ぶりに「大嘗祭」を復活させた。
・江戸幕府・7代将軍・家継(いえつぐ)の名付け親にもなっている。
111代 後西(ごさい)天皇
生没 1637年~1685年(享年49)
在位 1654年(18歳)~1663年(27歳)
江戸時代
・108代後水尾天皇の第8皇子。
・後水尾天皇は、聡仁親王(112代霊元天皇)を後継ぎと決めていたため、成長するまでの中継ぎとして後西天皇が即位。そのような立場ながら、積極的に政務にあたった。
・書に長けており「禁裏御文庫(きんりごぶんこ)」(御所内の書庫)の整備など文化事業にも熱心であった。
・和歌を好み『後西院御集』など多数の和歌集を残す。
・書にも優れ、流麗で伸びやかな書風が特徴であった。ほかに茶道、華道、香道にも練達していた。
・江戸で明暦の大火(1657)、京都で地震など、厄災が続いた影響もあり譲位。
110代 後光明(ごこうみょう)天皇
生没 1633年~1654年(享年22)
在位 1643年(11歳)~1654年(22歳)
江戸時代
・108代 後水尾天皇の第四皇子。異母姉の109代 明正天皇より譲位を受け、11歳で即位した。
・学問は漢学・漢詩(四書五経など儒学の教え)を好んだ。
・剣術にも長け、文武両道であった。
・幕府は、徳川3代家光・4代家綱の時代。
・20歳ごろから政務にも積極的に取り組むも、天然痘により22歳で急死。
109代 明正(めいしょう)天皇
生没 1623年~1696年(享年74)
在位 1629年(7歳)~1643年(21歳)
江戸時代
・108代 後水尾天皇の第二皇女。明正天皇の母の徳川和子は、徳川2代将軍・秀忠の娘。
・859年ぶりの女帝であった。
(奈良時代の48代・称徳天皇(位764-770)以来)
・7歳で即位したため、後水尾上皇が実権を握る。
・母が徳川家ということもあり、徳川幕府との関係は安定し、穏やかなものであった。
・明正天皇は、手芸を好み、押し絵の作品が由緒の寺に伝わる。
・諡号は、奈良時代の女性天皇である43代 元明天皇の「明」と、44代 元正天皇の「正」を取って「明正」天皇となった。
108代 後水尾(ごみずのお)天皇
生没 1596年~1680年(享年85)
在位 1611年(16歳)~1629年(34歳)
江戸時代
・父・107代後陽成天皇と同じく、江戸幕府に抵抗した。
・「禁中並公家諸法度」が制定され、幕府の厳しい監視下におかれる(1615)
・江戸幕府・2代将軍・徳川秀忠と江との娘、徳川和子が入内する。
・「紫衣(しえ)事件」などをきっかけに、109代明正天皇に譲位を強行した。
107代 後陽成(ごようぜい)天皇
生没 1571年~1617年(享年47)
在位 1586年(16歳)~1611年(47歳)
安土桃山時代
・祖父・106代正親町天皇から譲位を受けて16歳で即位。後ろ盾となったのが天皇の権威を求めていた豊臣秀吉だった。
・秀吉は猶子(養子)の、近衛前子(このえさきこ)を養女として入内させて、後陽成天皇の外戚になり、財政面で手厚く保護した。
・次に天下を平定した江戸幕府・初代将軍・徳川家康は朝廷に干渉し始める。後陽成天皇とは確執があったという。