奈良 – 天皇note

49代 光仁(こうにん)天皇(位770-781)

49代 光仁(こうにん)天皇

生没 709年~781年(享年73)
在位 770年(62歳)~781年(73歳)

奈良時代

・天智天皇の孫、白壁王が即位。藤原氏が実権を握るため擁立。

・聖武天皇の皇女・井上内親王が妻。(のちに光仁天皇を呪詛したとの陰謀に巻き込まれ幽閉・暗殺される。)

 

 

48代 称徳(しょうとく)天皇(位764-770)

48代 称徳(しょうとく)天皇

生没 718年~770年(享年53歳)
在位 764年(47歳)~770年(53歳)

奈良時代

・淳仁帝を廃し、重祚(ちょうそ)して称徳天皇となった。

・百万塔陀羅尼(ひゃくまんとう・だらに)。経典。世界最古の印刷物。藤原仲麻呂の乱の戦没者供養として作られた。(764)

・僧の道鏡を重用し、政局が混迷したといわれる。

47代 淳仁(じゅんにん)天皇(位758-764)

47代 淳仁(じゅんにん)天皇

生没 733年~765年(享年33)
在位 758年(26歳)~764年(32歳)

奈良時代

・天武天皇の孫、舎人親王の子、大炊王(おおいおう)が藤原仲麻呂の擁立で即位(淳仁天皇)

・藤原仲麻呂の乱で失脚し、淡路へと配流される。翌年、逃亡を図るもとらえられ、その後病死したと伝わる。「淡路廃帝(あわじはいたい)」と呼ばれていたが、明治になって諡号が送られた。

 

46代 孝謙(こうけん)天皇(位749-758)

46代 孝謙(こうけん)天皇

生没 718年~770年(享年53)
在位 749年(32歳)~758年(41歳)

奈良時代

・初の女性皇太子、阿倍内親王が譲位で即位。

・仏教への信仰心が篤く、東大寺盧舎那仏開眼供養も行った。(752)

・政治の実権は母の光明(こうみょう)皇太后と、その甥の藤原仲麻呂(藤原武智麻呂の次男・恵美押勝)が主導。

 

45代 聖武(しょうむ)天皇(位724-749)

45代 聖武(しょうむ)天皇

生没 701年~756年(享年56)
在位 724年(24歳)~749年(49歳)

奈良時代

・24歳で叔母の元正天皇から譲位され即位。

・聖武天皇は母・宮子(不比等の娘)に「大夫人(だいぶにん)」の称号を与えたが、長屋王がこれを問題視。藤原四子は長屋王を排斥。→長屋王の変(729)

・藤原四子が天然痘で没後は橘諸兄、吉備真備などが支えた。

・恭仁京(京都)(740)、難波宮(大阪)(744)、紫香楽宮(滋賀)(745)と、三度遷都を繰り返したのち、元の平城京(奈良)に戻る。

・仏教による鎮護国家を願い、諸国に国分寺を建立。(741)

・大仏造立の詔(だいぶつぞうりゅうのみことのり)(743)。開眼供養会(752)

 

 

44代 元正(げんしょう)天皇(位715-724)

44代 元正(げんしょう)天皇

生没 680年~748年(享年69)
在位 715年(36歳)~724年(45歳)

奈良時代

・元明天皇から譲位。皇女の氷高皇女(ひだかのひめみこ)が即位。(文武天皇の姉)

・引き続き、藤原不比等が政権を取る。

・「養老律令」制定(718)

・『日本書紀』完成(720)

・「百万町歩開墾計画(ひゃくまんちょうぶ・かいこんけいかく)」を実施。人口増加で不足した口分田を増やす。頓挫。(722)
↓↓
・「三世一身法」で3代までの墾田の私有を認め、開墾を奨めた。(723)(→荘園の始まりにつながる)

 

43代 元明(げんめい)天皇(位707-721)

43代 元明天皇(げんめいてんのう)

生没 661年~721年(享年61)
在位 707年(47歳)~721年(61歳)

飛鳥・奈良時代

・文武天皇が25歳で崩御。皇子の首皇子(おびとおうじ)は7歳だったため、母の阿閇皇女(あへのひめみこ)が即位。

・藤原不比等が実権を握る。

・武蔵国で和銅が献上。「和同開珎」を鋳造。(708)

・藤原京から平城京へ遷都(710)。奈良時代が始まる。

・『古事記』が編纂され献上。(712)