2025年8月 – 天皇note

100代 後小松(ごこまつ)天皇(位1382-1412)

北朝6代/100代 後小松(ごこまつ)天皇

生没 1377年~1433年(享年57)
在位 1382年(6歳)~1412年(36歳)

室町時代

・父・後円融から譲位を受けて即位。

・南北朝合一が実現(1392)。南朝の後亀山天皇から三種の神器を受け継ぎ、皇統は統一された。

・足利義満が「治天の君(実権を持つ君主)」の権限を吸収したため、後小松天皇が実権を握ることはなかった。

・一休宗純は後小松天皇の庶子ではという説がある。

 

北5代 後円融(ごえんゆう)天皇(1371-1382)

北朝5代 後円融(ごえんゆう)天皇

生没 1358年~1393年(享年36)
在位 1371年(14歳)~1382年(25歳)

南北朝時代

・後円融天皇と室町3代将軍・足利義満は同い年でいとこ同士。たびたび衝突した。

・後小松天皇に譲位したあとは院政をしいたが、公家衆は義満に従い、治天の君としての権力は有名無実であった。

 

北4代 後光厳(ごこうごん)天皇(1352-1371)

北4代 後光厳(ごこうごん)天皇 在1352年~

生没 1338年~1374年(享年37)
在位 1352年(15歳)~1371年(34歳)

南北町時代

・室町幕府が出家予定だった後光厳天皇を擁立(北1光厳の第2皇子)し、北朝を再興した。

・南朝の攻勢が激しさを増し、美濃や近江への逃亡を余儀なくされる。

・1366年、室町幕府3代将軍・足利義満が後光厳天皇から「義満」の名を賜る。

・『竹取物語』の写しを書いたといわれる。これは現存する最古のもの。

北3代 崇光(すこう)天皇(1348-1351)

北3代 崇光(すこう)天皇

生没 1334年~1398年(享年65)
在位 1348年(15歳)~1351年(18歳)

南北朝時代

・叔父の光明天皇の譲位を受け即位。しかし3年後、正平の一統がなり一時的に北朝が廃され、退位を余儀なくされる。

・1352年、北1光厳上皇、北2北明とともに南朝に賀名生に幽閉される。5年後帰京を許されたが子孫ともども皇位を望まないことを誓約させられた。

・琵琶や和琴、神楽などで才を発揮した。

北2代 光明(こうみょう)天皇(1336-1348)

北2代 光明(こうみょう)天皇 在1336年~

生没 1321年~1380年(享年60)
在位 1336年(16歳)~1348年(28歳)

南北朝時代

・足利尊氏に擁立される(1336)。三種の神器はなしで即位。

・禅に帰依し、僧侶・夢窓疎石(むそうそせき)に師事する一方、中世の天皇には珍しく合理的精神の持ち主で、療養のために当時タブーであった獣肉を食べることもあったという。

 

北1代 光厳(こうごん)天皇(位1331-1333)

北1代 光厳(こうごん)天皇

生没 1313年~1364年(享年52)
在位 1331年(19歳)~1333年(21歳)

南北朝時代

・隠岐に流された後醍醐天皇に変わって室町幕府に擁立される。

・足利尊氏の挙兵に大義名分を与えた。

・南朝に連れ去られ、賀名生(あのう)(奈良県五條市)に幽閉された。

・帰京後出家して丹波の常照寺に隠棲した。

99代 後亀山(ごかめやま)天皇(位1383-1392)

99代 後亀山(ごかめやま)天皇

生没 ?年~1424年
在位 1383年~1392年

南北朝時代

・対北朝強硬派の兄・長慶から譲位。北朝との和平を模索する。

・室町幕府側との折衝を続け、1392年、三種の神器を北朝に渡して、60年ぶりに南北朝の合一が成し遂げられた。

・出家し嵯峨大覚寺に住んだ。

 

98代 長慶(ちょうけい)天皇(位1368-1383)

98代 長慶(ちょうけい)天皇

生没 1343年~1394年(享年52)
在位 1368年(26歳)~1383年(41歳)

南北朝時代

・北朝に対して強固な態度で臨んだといわれる。父・後村上天皇の時代には、幕府との和平交渉もあったが、長慶天皇の治世中は一切なかった。

・『新葉和歌集』に50首以上入首。また『源氏物語』の注釈書『仙源抄(せんげんしょう)』を著した。

 

97代 後村上(ごむらかみ)天皇(位1339-1368)

97代 後村上(ごむらかみ)天皇

生没 1328年~1368年(享年41)
在位 1339年(12歳)~1368年(41歳)

室町(南北朝)時代

・幼少から戦場に身を置き軍事的才能を磨く一方、学問にも長けた文武両道の帝王。

・義良(のりよし)親王時代、北畠顕家とともに奥州に下る。

・南北朝の動乱が始まると京に戻り幕府軍と戦う。

・吉野で即位。南朝は終始劣勢だったが、一時幕府側の内紛で北朝が廃され、後村上が唯一の天皇となった(正平の一統)

 

96代 後醍醐(ごだいご)天皇(位1318-1339)

96代 後醍醐(ごだいご)天皇

生没 1288年~1339年(享年52)
在位 1318年(31歳)~1339年(52歳)

室町(南北朝)時代

・家柄にとらわれず有能な廷臣を重用し親政を推進した。

・倒幕をもくろみ笠置山で挙兵(1331)。失敗し隠岐に流されたが、各地の武士も反幕府に転じ、足利尊氏、新田義貞らの活躍で鎌倉幕府が滅亡。

・京に帰還した後醍醐天皇は「建武の新政」と呼ばれる政治改革を行うが、公家中心の政治で武士の反発を招き2年で崩壊。

・足利尊氏が室町幕府を開き、持明院統の光明天皇を擁立。後醍醐は三種の神器を携えて奈良・吉野へ下り、南北朝時代が幕を開ける。

 

95代 花園(はなぞの)天皇(位1308-1318)

95代 花園(はなぞの)天皇

生没 1297年~1348年(享年52)
在位 1308年(12歳)~1318年(22歳)

鎌倉時代
・持明院統(後深草の孫)の花園天皇が即位。

・毎朝の読経を欠かさず性質は清廉であったという。

・96後醍醐帝への譲位後は禅宗に帰依し、学問に没頭した。

・妙心寺(臨済宗の大本山)(京都市右京区)を創建する。

 

94代 後二条(ごにじょう)天皇(位1301-1308)

94代 後二条(ごにじょう)天皇

生没 1285年~1308年(享年24)
在位 1301年(17歳)~1308年(24歳)

鎌倉時代

・持明院統(後深草系)の天皇が2代(92伏見・93後伏見)続いたことを、父の後宇多上皇(亀山の子)が幕府に訴えたことで、大覚寺統の後二条帝が即位。

・容姿が美しく性質は上品で物腰は落ち着いていたという。

・兼好法師が19歳の頃仕えた。

・24歳で若くして病気で亡くなる。

93代 後伏見(ごふしみ)天皇(位1298-1301)

93代 後伏見(ごふしみ)天皇

生没 1288年~1336年(享年49)
在位 1298年(11歳)~1301年(14歳)(在位3年)

鎌倉時代

・持明院統の父・伏見天皇の譲位を受けて11歳で即位するも、幕府の意向により3年で大覚寺統の後二条天皇に譲位した。

・背景には、伏見帝の側近・京極為兼と対立する関東申次の西園寺実兼の画策があった。

・1333年、足利尊氏が六波羅探題を攻めた際、東国に逃れようとしたが捕らえられ出家した。

92代 伏見(ふしみ)天皇(位1287-1298)

92代 伏見(ふしみ)天皇

生没 1265年~1317年(享年53)
在位 1287年(23歳)~1298年(34歳)

鎌倉時代

・大覚寺統の後宇多天皇に代わり、持明院統の伏見帝が即位。さらに第1皇子胤仁(後伏見帝)を立太子させたため、両統の対立が深まる。

・浅原為頼が宮中に乱入し、伏見帝暗殺未遂事件が起こる。(1290)。公卿の三条実盛も捕縛され、叔父の亀山帝の関与も噂された。

・書の名手であった伏見帝は伏見院流の祖となる。

 

91代 後宇多(ごうだ)天皇(位1274-1287)

91代 後宇多(ごうだ)天皇

生没 1267年~1324年(享年58)
在位 1274年(8歳)~1287年(21歳)

鎌倉時代

・父・亀山帝から譲位。大覚寺統が2代続く。

・寵愛した遊義門院が亡くなると出家した。

・第2皇子・後醍醐天皇が即位すると、院政を停止した。

・『新後撰和歌集』『続千載和歌集』の撰進を命じ、大規模な歌会を催すなど和歌の振興にも尽くした。