40代 天武天皇(てんむてんのう)
生没 631年~686年(享年56)
在位 673年(43歳)~686年(56歳)
飛鳥時代
・天智天皇の弟、大海人皇子
・壬申の乱で大友皇子(弘文天皇)を倒し即位。
・飛鳥浄御原宮(あすかのきよみはらのみや)が政治の中心に。
・初めて「天皇」の称号や「日本」の国号を使用した
・天皇や皇族が政治を執る「皇親政治」を行い、天皇中心の律令国家を目指した
・「八色の姓」を制定し身分秩序を確立。
40代 天武天皇(てんむてんのう)
生没 631年~686年(享年56)
在位 673年(43歳)~686年(56歳)
飛鳥時代
・天智天皇の弟、大海人皇子
・壬申の乱で大友皇子(弘文天皇)を倒し即位。
・飛鳥浄御原宮(あすかのきよみはらのみや)が政治の中心に。
・初めて「天皇」の称号や「日本」の国号を使用した
・天皇や皇族が政治を執る「皇親政治」を行い、天皇中心の律令国家を目指した
・「八色の姓」を制定し身分秩序を確立。
39代 弘文天皇(こうぶんてんのう)
生没 648年~672年(享年25)
在位 671年(24歳)~672年(25歳)
飛鳥時代
・天智天皇の子、大友皇子
・壬申の乱で叔父の大海人皇子に敗れる
・『日本書紀』には即位の記載がなく、明治時代に弘文天皇の諡号が贈られた。
38代 天智天皇(てんじてんのう)
生没 626年~671年(享年46歳)
在位 668年(43歳)~671年(46歳)
飛鳥時代
・中大兄皇子
・白村江の戦い(663)に敗れ、国防を強化。各地に山城を築き、筑紫に防人を置く。
・飛鳥から近江に遷都。(現・近江神宮)
・漏刻(ろうこく)(水時計)をつくり、時間を知らせた。
・庚午年籍(こうごねんじゃく)(日本初の戸籍)を作成。(現存せず)
37代 斉明天皇(さいめいてんのう)
生没 594年~661年(享年68歳)
在位 655年(62歳)~661年(68歳)
飛鳥時代
・35代皇極天皇が再度即位。重祚(ちょうそ)。
・牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)
36代 孝徳天皇(こうとくてんのう)
生没 596年~654年(享年59歳)
在位 645年(50歳)~654年(59歳)
飛鳥時代
・政治の実権は皇太子の中大兄皇子が握る。
・「冠位十九階」を制定。冠には花があしらわれた。
・難波に遷都したが、また飛鳥に戻る。孝徳天皇は反対し、ひとり取り残され、翌年崩御。
35代 皇極天皇(こうぎょくてんのう)在642年~
生没 594年~661年(享年68歳)
在位 642年(49歳)~645年(52歳)
飛鳥時代
・舒明天皇の皇后、宝皇女が即位し皇極天皇となる。
・蘇我蝦夷の子、蘇我入鹿が実権を握り専横の限りを尽くした。
・中大兄皇子・中臣鎌足が蘇我入鹿を討つ。蘇我氏が滅亡。
34代 舒明天皇(じょめいてんのう)在629年~
生没 593年~641年(享年49歳)
在位 629年(37歳)~641年(49歳)
飛鳥時代
・敏達天皇の孫・田村皇子(たむらのみこ)
・厩戸王の子・山背大兄王といずれを擁立するかで意見が分かれたが、大臣・蘇我蝦夷が擁立に動き、田村皇子が舒明天皇として即位。
・皇后は皇極・斉明天皇。
・中大兄皇子(天智天皇)、大海人皇子(天武天皇)の父
33代 推古天皇(すいこてんのう)
生没 554年~628年(享年75歳)
在位 592年(39歳)~628年(75歳)(在位36年)
飛鳥時代
・初の女性天皇
・摂政の厩戸王と蘇我馬子が政治を進めた。
(厩戸王は推古天皇のおい、馬子は推古天皇の叔父。)
・「冠位十二階」「十七条憲法」の制定。
・遣隋使の派遣。
・『天皇記』『国記』といった国史の編纂。
・四天王寺や法隆寺の建立など。
32代 崇峻天皇(すしゅんてんのう)在587年~
生没 ?年~592年(享年?歳)
在位 587年(?歳)~592年(?歳)
古墳時代
・泊瀬部皇子(はつせべのみこ)。
・実権は蘇我馬子が握っており、軋轢が生じて蘇我馬子によって暗殺された
31代 用命天皇(ようめいてんのう)位585年~
生没 540年~587年(享年48歳)
在位 585年(46歳)~587年(48歳)
古墳時代
・厩戸王の父
・父は欽明天皇、母は蘇我稲目の娘・堅塩姫(きたしひめ)
・皇后は異母妹である穴穂部間人皇女(あなほべはしひとのひめみこ)
・仏教に帰依を願う
・法隆寺の薬師如来像は亡き用明天皇のため息子の厩戸王が発願した。