2025年6月 – ページ 2 – 天皇note

40代 天武(てんむ)天皇(位673-686)

40代 天武天皇(てんむてんのう)

生没 631年~686年(享年56)
在位 673年(43歳)~686年(56歳)

飛鳥時代

・38代天智天皇の弟、大海人皇子。

・「壬申の乱(672)」で大友皇子(39代弘文天皇)を倒し、即位した。

・都を近江(滋賀)から「飛鳥浄御原宮(あすかのきよみはらのみや)」(奈良・明日香村)に戻す。以降、40代天武天皇・41代持統天皇と2代に渡って、政治の中心地となる。

・初めて「天皇」の称号や「日本」の国号を使用した。

・天皇や皇族が政治を執る「皇親(こうしん)政治」を行い、天皇中心の律令国家を目指した。

・「八色の姓(やくさのかばね)」を制定し、身分秩序を確立。

・『日本書紀』の編纂が開始された。天武天皇の子の舎人親王が任にあたる。

 

 

39代 弘文(こうぶん)天皇(位671-672)

39代 弘文天皇(こうぶんてんのう)

生没 648年~672年(享年25)
在位 671年(24歳)~672年(25歳)

飛鳥時代

・38代天智天皇の子、大友皇子。

・「壬申の乱(672)」で、叔父の大海人皇子に敗れる。

・『日本書紀』には即位の記載がなく、明治時代に弘文天皇の諡号(しごう)が贈られた。

※諡号(しごう)・・貴人、僧侶の死後、その人の生前の行ないをほめたたえておくる名。おくり名。

 

38代 天智(てんじ)天皇(位668-671) 

38代 天智天皇(てんじてんのう)

生没 626年~671年(享年46)
在位 668年(43歳)~671年(46歳)

飛鳥時代

・中大兄皇子は即位の儀を行うことなく政務についた。(称制・即位せず政務を行うこと)。(即位したのは斉明天皇の崩御から7年後。)

・大化の改新(中央集権化)を進める。

・滅亡した百済を復興させようと、白村江の戦い(663)に臨んだが敗れた。国防を強化。各地に山城を築き、筑紫に防人を置く。

・飛鳥(奈良)から、内陸の近江(滋賀)に遷都した。(現・近江神宮)

・漏刻(ろうこく)(水時計)をつくり、時間を知らせた。

・「庚午年籍(こうごねんじゃく)」(日本初の戸籍)を作成。(現存せず)

・百人一首
1「秋の田の 仮庵の庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ」

 

37代 斉明(さいめい)天皇(位655-661) ※

37代 斉明天皇(さいめいてんのう)

生没 594年~661年(享年68)
在位 655年(62歳)~661年(68歳)

飛鳥時代

・35代皇極天皇が再度即位した。重祚(ちょうそ)。

・牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)。2010年に斉明天皇と娘の間人皇女の合同墓と特定された。

 

36代 孝徳(こうとく)天皇(位645-654) 

36代 孝徳天皇(こうとくてんのう)

生没 596年~654年(享年59)
在位 645年(50歳)~654年(59歳)

飛鳥時代
・乙巳の変(645)の後、35代皇極天皇は息子の中大兄皇子に皇位を譲ろうとしたが、中大兄皇子はこれを受けず。皇極は弟の軽皇子に皇位を譲り、孝徳天皇となった。

・政治の実権は皇太子の中大兄皇子が握る。

・「冠位十九階」を制定。冠には花があしらわれた。

・難波(なにわ)に都を遷都したが、中大兄皇子が元の大和(奈良)に戻ることを奏上。孝徳天皇はひとり反対し、取り残され、翌年崩御した。

 

35代 皇極(こうぎょく)天皇(位642-645) ※

35代 皇極天皇(こうぎょくてんのう)

生没 594年~661年(享年68)
在位 642年(49歳)~645年(52歳)

飛鳥時代

・34代舒明天皇の皇后である宝皇女(たからのひめみこ)が即位し、皇極天皇となる。

・蘇我蝦夷の子、蘇我入鹿が実権を握り、専横の限りを尽くした。

・皇極の皇子である中大兄皇子と、中臣鎌足が蘇我入鹿を討つ(乙巳の変・645)。これにより蘇我氏本宗家が滅亡した。

その後「大化の改新(中央集権化)」が進む。

 

34代 舒明(じょめい)天皇(位629-641) 

34代 舒明天皇(じょめいてんのう)

生没 593年~641年(享年49)
在位 629年(37歳)~641年(49歳)

飛鳥時代

・30代 敏達天皇の孫・田村皇子(たむらのみこ)。

・厩戸王の子である山背大兄王(やましろのおおえのおう)と、田村皇子のいずれを擁立するかで意見が分かれた。

蘇我入鹿は田村皇子の擁立に動き、山背大兄王(やましろのおおえのおう)の上宮王家(じょうぐうおうけ)は滅亡。田村皇子が舒明天皇として即位した。

・舒明天皇の皇后は35代皇極(斉明)天皇。皇子は中大兄皇子(天智天皇)、大海人皇子(天武天皇)。

 

33代 推古(すいこ)天皇(位592-628)※

33代 推古天皇(すいこてんのう)

生没 554年~628年(享年75)
在位 592年(39歳)~628年(75歳)(在位36年)

飛鳥時代
・敏達天皇の皇后、額田部皇女(ぬかたべのひめみこ)が、初の女性天皇として即位。

・摂政の厩戸王(聖徳太子)と、蘇我馬子が主導で政治を進めた。(厩戸王は推古天皇のおい、馬子は推古天皇の叔父。)

・「冠位十二階」「十七条憲法」の制定。(厩戸王が中心)

・遣隋使の派遣。

・『天皇記』『国記』といった国史の編纂。

・四天王寺や法隆寺の建立など。

・和風諡号は「豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)」。

・『古事記』の記述はこの推古天皇まで。

32代 崇峻(すしゅん)天皇(位587-592)

32代 崇峻天皇(すしゅんてんのう)在587年~

生没 ?年~592年(享年?歳)
在位 587年(?歳)~592年(?歳)

古墳/飛鳥時代
・泊瀬部皇子(はつせべのみこ)。

・「丁未(ていび)の乱(587)」。蘇我氏と物部氏が戦い、物部氏が敗れる。これ以降、仏教信仰が本格化する。

・実権は蘇我馬子が握っており、軋轢が生じて蘇我馬子によって暗殺されたとされる。

献上された猪を見て「(蘇我馬子の)首も猪のように落としたい」と語り、それを知った馬子に暗殺されたという。

 

31代 用命(ようめい)天皇(位585-587)

31代 用命天皇(ようめいてんのう)位585年~

生没 540年~587年(享年48)
在位 585年(46歳)~587年(48歳)

古墳/飛鳥時代

・厩戸王(聖徳太子)の父

・父は29代欽明天皇、母は蘇我稲目の娘・堅塩姫(きたしひめ)。

・皇后は異母妹である穴穂部間人皇女(あなほべ はしひとのひめみこ)。

・即位して2年で病に伏したため、仏教への帰依を願うようになった。

・法隆寺の薬師如来像は、息子の厩戸王が亡き用明天皇のため発願したといわれている。(法隆寺は厩戸王が用明天皇の供養のために建てたとされる。)