平安 – ページ 2 – 天皇note

62代 村上(むらかみ)天皇(位946-967)

62代 村上(むらかみ)天皇

生没 926年~967年(享年42)
在位 946年(21歳)~967年(42歳)

平安時代

・60代 醍醐天皇の第14皇子であり、61代 朱雀帝の弟の、成明(なりあきら)親王が譲位により即位。

・徴税を徹底し、贅沢を禁じて倹約令を出すなど、財政の健全化をめざし「天暦の治(てんりゃくのち)」と称えられた。

・「村上源氏」の祖となる。

・『後撰和歌集』(二番目の勅撰和歌集)を編纂。詞書きが長く、贈答歌が多い。

「天徳内裏歌合わせ」を開催(960)。40「しのぶれど」と41「恋すてふ」は、甲乙付けがたく、かろうじて40「しのぶれど」が勝ったという。

 

61代 朱雀(すざく)天皇(位930-946)

61代 朱雀(すざく)天皇

生没 923年~952年(享年30)
在位 930年(8歳)~946年(24歳)

平安時代

・第11皇子の寛明(ゆたあきら)親王が即位する(朱雀天皇)。

・藤原基経の子・藤原忠平(26貞信公)が摂政・関白となる。

・富士山の噴火、地震などの天変地異に見舞われる。

・平将門の乱(939)、藤原純友の乱(941)が起こる。(承平・天慶の乱/じょうへい・てんぎょうのらん)。

・二人の女御がいたが、どちらにも子が生まれず15年間皇太子不在だった。

60代 醍醐(だいご)天皇(位897-930)

60代 醍醐(だいご)天皇

生没 885年~930年(享年46)
在位 897年(13歳)~930年(46歳)

平安時代

・摂政・関白を置かず親政を行う。「延喜の治(えんぎのち)」と称された。

・『日本三代実録』(六国史の6番目)、『古今和歌集』の編纂を行う。

・当初は菅原道真を重用していたが、藤原時平の讒言(ざんげん)により、道真を太宰府に左遷した(昌泰の変・しょうたいのへん・901)。

これにより再び藤原氏が権力を握ることとなった。

 

 

59代 宇多(うだ)天皇(位887-897)

59代 宇多(うだ)天皇

生没 867年~931年(享年65)
在位 887年(21歳)~897年(31歳)

平安時代

・58代 光孝天皇の第7皇子・源定省(さだみ)。臣籍に下っていたが、光孝天皇が病に倒れたため、急遽親王に復されて皇太子となる。光孝帝崩御により即位。

・藤原基経とは折り合いが悪く、阿衡の紛議(887)などで衝突。

・基経の死後、宇多帝は親政を開始。菅原道真を登用し、遣唐使の廃止(894)、私営田の抑制、地方への監察官の派遣など、積極的な改革を行う。

・醍醐天皇に譲位。初の法皇(出家した上皇)となる。

 

57代 陽成(ようぜい)天皇(位876-884)

57代 陽成(ようぜい)天皇

生没 868年~949年(享年82)
在位 876年(9歳)~884年(17歳)

平安時代

・56代清和天皇と藤原高子(二条后)の皇子。

・9歳で即位。藤原基経が摂政となる。

・性格が荒々しく奇行が絶えないため、16歳で皇位を廃された。

・その後は65年間も上皇の座を保つほど長寿であった。

・百人一首13「つくばねの

 

 

56代 清和(せいわ)天皇(位858-876)

56代 清和(せいわ)天皇

生没 850年~880年(享年31)
在位 858年(9歳)~876年(27歳)

平安時代

・55代文徳帝が突然の病で崩御。清和天皇が9歳で即位。

・祖父の藤原良房が実権を握り、応天門の変(866)などで対抗勢力を排斥。良房は摂政となり、ここから藤原家の「摂関政治」が幕を開ける。

・「貞観格式(じょうがんきゃくしき)」など法整備を行う。

・清和帝は学問を好んだ。

・清和源氏の祖でもある。

 

55代 文徳(もんとく)天皇(位850-858)

55代 文徳(もんとく)天皇

生没 827年~858年(享年32)
在位 850年(24歳)~858年(32歳)

平安時代

・54代仁明帝の崩御により即位。文武天皇は、54代仁明帝と藤原良房の妹・順子(のぶこ)との子。

・藤原良房が太政大臣となる。

・文徳帝は第1皇子の惟喬(これたか)親王の立太子を望んでいたが、藤原良房の意向で、良房の娘・明子と文徳帝の子、惟仁(これひと)親王(56代清和天皇)が生後8カ月で皇太子となった。

 

54代 仁明(にんみょう)天皇(位833-850)

54代 仁明(にんみょう)天皇

生没 810年~850年(享年41)
在位 833年(24歳)~850年(41歳)

平安時代

・53代淳和(じゅんな)天皇からの譲位で、嵯峨帝の子、正良(まさら)親王が即位。(仁明天皇)

・皇太子には、53代淳和天皇の子、恒貞(つねさだ)親王がなっていたが、橘逸勢とともに謀反の疑いありとして廃した。(承和の変/じょうわのへん・842)。

代わりに自分の息子の道康親王(55代文徳天皇)を皇太子にした。仁明帝の皇后・順子(のぶこ)の兄、藤原良房が画策したともいわれる。

・小野小町が更衣となった。

 

53代 淳和(じゅんな)天皇(位823-833)

53代 淳和(じゅんな)天皇

生没 786年~840年(享年55)
在位 823年(38歳)~833年(48歳)

平安時代

・兄の53代嵯峨帝から譲位されて即位した。

・『日本後紀(にほんこうき)』を編纂。(「六国史」の3番目。)

・『経国集(けいこくしゅう)』を編纂。勅撰漢詩文集。良岑安世らが撰進。初の詩文総集。(827)

・『令義解』(りょうのぎげ)を編纂。養老令(ようろうりょう)の解説書。清原夏野らが記す。
(※「令(りょう)」は民法・行政法。「律」は刑法だが、こちらはない。)

・歴代天皇で唯一散骨した天皇。葬儀の莫大な費用を軽減し、民の負担を減らした。

52代 嵯峨(さが)天皇(位809-823)

52代 嵯峨(さが)天皇

生没 786年~842年(享年57)
在位 809年(24歳)~823年(38歳)

平安時代

・平城上皇が挙兵したが、坂上田村麻呂に鎮圧(薬子の変・810)させた。以後は政局が安定。

・「蔵人頭(くろうどのとう)」(機密文書を扱う天皇秘書)を創設。初代に藤原冬嗣を登用した。(藤原冬嗣は、藤原房前(藤原四子・次男・北家)の曾孫)。

・「弘仁格式(こうにんきゃくしき)」で、律令の補足・修正が行われた。

・「検非違使(警察・裁判所)」を設置。

・華やかな「弘仁文化」が花開く。中国歴史、漢詩、書道などが発展。

・「三筆」と呼ばれる書の名手であった。(嵯峨天皇、橘逸勢、弘法大師空海)

 

 

51代 平城(へいぜい)天皇(位806-809)

51代 平城(へいぜい)天皇

生没 774年~824年(享年51)
在位 806年(33歳)~809年(36歳)

平安時代

・50代桓武帝の第一皇子。安殿皇子(あてのみこ)。

・財政難の立て直しに尽力。官僚組織を改革した。

・妻の母・薬子に惹かれ、寵愛した。

・病弱だったため、弟の神野(じんの)親王に譲位。

 

50代 桓武(かんむ)天皇(位781-806)

50代 桓武(かんむ)天皇

生没 737年~806年(享年70)
在位 781年(45歳)~806年(70歳)

平安時代

・49代光仁天皇の皇太子の他戸(おさべ)親王が廃され、代わりに山部親王(やまべのしんのう)が皇太子となる。その後、譲位され即位し、50代桓武天皇となる。

・母は百済からの渡来系氏族の高野新笠(たかのにいがさ)。

・桓武天皇は、皇后・藤原乙牟漏(ふじわらのおとむろ・藤原良継(式家)の娘)の他に、妻が26人、子供が35人いた。

・平城京から長岡京に遷都(784)。

・東北の蝦夷討伐。坂上田村麻呂を征夷大将軍とした。(801~804)

・藤原種継暗殺の首謀者として、早良親王を淡路へ配流。早良親王の祟りを恐れて、長岡京から平安京へ遷都(794)。平安時代が始まる。