古墳 – ページ 2 – 天皇note

29代 欽明(きんめい)天皇(位539-571)

29代 欽明天皇(きんめいてんのう)

生没 509年~571年(享年63)
在位 539年(31歳)~571年(63歳)

古墳時代

・26代継体天皇の第3皇子。

・仏教伝来。
ー『元興寺縁起(がんごうじえんぎ)』、『上宮聖徳法王定説(じょうぐうしょうとくほうおうていせつ)』(538年)
ー『日本書紀』(552年)

百済の聖明王より欽明天皇に、仏教の経典や、釈迦仏の「小金銅仏(しょうこんどうぶつ)」が献上された。

物部尾輿・中臣鎌子は仏教に反対。中臣家は代々神事を司る豪族なので、反対した。(※藤原鎌足も最初の名前は中臣鎌子だが、これとは別人)

蘇我稲目は仏教に賛成した。

・大伴金村と物部尾輿を大連(おおむらじ)(軍事・裁判)に、蘇我稲目を大臣(おおおみ)(経済・外交)にした。

・大伴金村が、任那を百済に割譲した失政を問われ、大伴氏が失脚。

・以降、物部氏と蘇我氏が台頭して対立する。物部氏は仏教反対の「排仏派」派、蘇我氏は仏教推進の「崇仏派」派。

 

28代 宣化(せんか)天皇(位535-539)

28代 宣化天皇(せんかてんのう)

生没 467年~539年(享年73)
在位 535年~539年 69~73歳(在位4年)

古墳時代

・26代継体天皇の第二皇子。

・『日本書紀』には、清らかでおごり高ぶることのない、君子らしい人物とある。

・大伴金村、物部麁鹿火に加え、蘇我稲目らを大臣(おおおみ)とした。

・那津官家(なのつのみやけ)(博多湾岸・太宰府の起源)に、各地の屯倉(みやけ)から籾(もみ)を運ばせて非常時に備えた。

・新羅に攻められた任那(みまな)からの救援要請に対して、援軍を送るなど、外交も積極策を推し進める。

・新羅が任那を攻めたので援軍を出す。金村の子、磐(いわ)と狭手彦(さてひこ)を派遣した。『肥前国風土記』や『万葉集』に狭手彦が筑紫から朝鮮半島へ出征する際、愛人の松浦佐用媛(まつらさよひめ)が、山の上から領巾(ひれ)を振って別れを惜しんだという話が記されている。

 

27代 安閑(あんかん)天皇(位531-535)

27代 安閑天皇(あんかんてんのう)

生没 466年~535年(享年70)
在位 531年~535年 65~70歳(在位4年)

古墳時代

・26代継体天皇の第一皇子。

・器量・武威に優れ、人君として相応しい人柄と伝わる。

・各地に屯倉(みやけ)(朝廷の直轄地)を設置した。

・五穀豊穣で民が飢えることもなくなり、天子を褒める声が天地に充満したともいわれる。