天皇note – ページ 4

74代 鳥羽(とば)天皇(位1107-1123)

74代 鳥羽(とば)天皇

生没 1103年~1156年(享年54)
在位 1107年(5歳)~1123年(21歳)

平安時代

・急逝した父・堀河帝に代わり5歳で即位。白河院政が実権を握る。

・鳥羽帝の皇后・待賢門院璋子と祖父白河帝との子と言われる崇徳を冷遇した。

・中世的な荘園公領制が確立。

 

72白河

73堀河

74鳥羽

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76近衛    77後白河    75崇徳

 

73代 堀河(ほりかわ)天皇(位1086-1107)

73代 堀河(ほりかわ)天皇

生没 1079年~1107年(享年29)
在位 1086年(8歳)~1107年(29歳)

平安時代

・父・白河天皇の譲位を受けて8歳で即位。白河院政の傀儡であった。

・音楽を愛好し、笛の名手でもあった。

・『讃岐典侍日記(さぬきのすけにっき)』は堀河天皇に仕えた讃岐典侍(藤原長子)による日記文学。堀河天皇のことが多く描かれている。

 

72白河

73堀河

74鳥羽

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76近衛    77後白河    75崇徳

 

72代 白河(しらかわ)天皇(位1072-1086)

72代 白河(しらかわ)天皇

生没 1053年~1129年(享年77)
在位 1072年(20歳)~1086年(34歳)

平安時代

・退位後も上皇として40年以上院政を行う。(73堀河、74鳥羽、75崇徳まで)

・「北面の武士(直属軍)」を設置。有力寺社の強訴に対応した。

・「賀茂川の水、双六の賽、山法師」だけは思い通りにならないと言った。

・法勝寺(ほっしょうじ)を建立(八角九重の塔)

 

72白河

73堀河

74鳥羽

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76近衛    77後白河    75崇徳

 

71代 後三条(ごさんじょう)天皇(位1068-1072)

71代 後三条(ごさんじょう)天皇

生没 1034年~1073年(享年40)
在位 1068年(35歳)~1072年(39歳)

平安時代

・頼道と婚戚関係を持たず冷遇されていたが、兄の後冷泉帝の崩御により35歳で即位。

・170年ぶりに藤原氏を外戚としない天皇となった。摂関家に気兼ねなく大胆な改革を行った。

・「延久の荘園整理令」を発布(1069)。記録書を設け、摂関家領も含め荘園を厳しく審査・没収し、国家財政の強化を目指した。

・宣旨升(せんじます)を評定の公定枡とした(1072)。その後、鎌倉時代まで共通の単位として全国で広く利用された。

・家格にとらわれず、有能な中下級貴族を登用した。

 

70代 後冷泉(ごれいぜい)天皇(位1045-1068)

70代 後冷泉(ごれいぜい)天皇

生没 1025年~1068年(享年44)
在位 1045年(21歳)~1068年(44歳)

平安時代

・先帝の後朱雀帝と藤原嬉子の第一皇子。

・関白・藤原頼道が権力を握る。

・蹴鞠や和歌の会、管弦など風雅な遊びを好み、政治には関心を示さなかった。

・「前九年の役」が始まる(1051)
(源頼義が奥州の豪族安倍氏を追討した戦い。源氏の勢力が関東に及ぶ契機となった。)

 

69代 後朱雀(ごすざく)天皇(位1036-1045)

69代 後朱雀(ごすざく)天皇

生没 1009年~1045年(享年37)
在位 1036年(28歳)~1045年(37歳)

平安時代

・兄・後一条天皇の譲位で即位。政治の実権は関白・藤原頼通(道長の息子)らに握られていた。

・比叡山で最澄の弟子の円仁と円珍が対立し、京にも飛び火した。後朱雀帝はこれを自分のせいだと嘆いたという。

・疱瘡にかかり、出家後まもなく崩御。

 

68代 後一条(ごいちじょう)天皇(位1016-1036)

68代 後一条(ごいちじょう)天皇

生没 1008年~1036年(享年29)
在位 1016年(9歳)~1036年(29歳)

平安時代

・一条帝と中宮彰子の皇子の敦成(あつひら)親王(後一条天皇)が9歳で即位。

・祖父の藤原道長に擁立された。道長は摂政となり政治を主導した。

・後一条帝が11歳の時、9歳年上の叔母(道長の三女)の威子(いし/たけこ)を中宮に迎える。

・29歳で崩御。

 

67代 三条(さんじょう)天皇(位1011-1016)

67代 三条(さんじょう)天皇

生没 976年~1017年(享年42)
在位 1011年(36歳)~1016年(41歳)

平安時代

・冷泉帝の第二皇子

・藤原道長は敦成(あつひら)親王(後一条天皇)の擁立を望んでいたため、三条帝はその中継ぎでしかなかった。

・眼病の悪化と道長からの圧力で、譲位し出家した。

・百68「心にも」(後拾遺和歌集)

65代 花山(かざん)天皇(位984-986)

65代 花山(かざん)天皇

生没 968年~1008年(享年41)
在位 984年(17歳)~986年(19歳)

平安時代

・円融帝から皇太子に譲位。諸貞親王(花山天皇)が17歳で即位。

・女御の藤原忯子(しし)が亡くなると出家を望むようになり、藤原兼家、道兼の策略にはまり出家した。

 

64代 円融(えんゆう)天皇(位969-984)

64代 円融(えんゆう)天皇

生没 959年~991年(享年33)
在位 969年(11歳)~984年(26歳)

平安時代

・冷泉帝の弟、守平親王(円融天皇)が11歳で即位。摂政は藤原実頼、藤原兼家など。

・藤原師輔の子である、兄・兼通と、弟・兼家の兄弟の権力争いに振り回された。

・弟・兼家の娘、詮子(せんし)との間に皇子、懐仁(やすひと)親王が生まれる。後の一条帝。

・円融帝は疲弊し、花山天皇に譲位。

63代 冷泉(れいぜい)天皇(位967-969)

63代 冷泉(れいぜい)天皇

生没 950年~1011年(享年62)
在位 967年(18歳)~969年(20歳)

平安時代

・藤原忠平の子、藤原実頼・師輔兄弟が権力を握る。

・藤原氏が源高明を謀反の罪を着せて排斥する。(安和の変・969)

・冷泉帝は1日中蹴鞠に明け暮れるなどの奇行があったといわれている。

 

62代 村上(むらかみ)天皇(位946-967)

62代 村上(むらかみ)天皇

生没 926年~967年(享年42)
在位 946年(21歳)~967年(42歳)

平安時代

・朱雀帝の弟、成明親王が譲位により即位。

・徴税を徹底し、贅沢を禁じて倹約令を出すなど財政の健全化をめざし「天暦の治」と称えられた。

・村上源氏の祖となる。

・「天徳内裏歌合わせ」を開催(960)

 

61代 朱雀(すざく)天皇(位930-946)

61代 朱雀(すざく)天皇

生没 923年~952年(享年30)
在位 930年(8歳)~946年(24歳)

平安時代

・基経の子・藤原忠平(26貞信公)が摂政・関白となる。

・富士山の噴火、地震などの天変地異に見舞われる

・平将門の乱(939)、藤原純友の乱(941)が起こる。(承平・天慶の乱/じょうへい・てんぎょう)

・二人の女御がいたが、どちらにも子が生まれず15年間皇太子不在だった。

60代 醍醐(だいご)天皇(位897-930)

60代 醍醐(だいご)天皇

生没 885年~930年(享年46)
在位 897年(13歳)~930年(46歳)

平安時代

・摂政・関白を置かず親政を行う。

・『日本三代実録』、『古今和歌集』の編纂を行う。

・当初は菅原道真を重用していたが、藤原時平の讒言(ざんげん)により道真を太宰府に左遷(昌泰の変・901)。再び藤原氏が権力を握ることとなった。

59代 宇多(うだ)天皇(位887-897)

59代 宇多(うだ)天皇

生没 867年~931年(享年65)
在位 887年(21歳)~897年(31歳)

平安時代

・光孝天皇の第7皇子・源定省(さだみ)。臣籍に下っていたが、光孝天皇が病に倒れたため急遽親王に復されて皇太子となる。光孝帝崩御により即位。

・藤原基経とは折り合いが悪く、阿衡の紛議(887)などで衝突。

・基経の死後、宇多は親政を開始。菅原道真を登用し、遣唐使の廃止(894)、私営田の抑制、地方への監察官の派遣など、積極的な改革を行う。

・醍醐天皇に譲位。初の法皇(出家した上皇)となる。

 

57代 陽成(ようぜい)天皇(位876-884)

57代 陽成(ようぜい)天皇

生没 868年~949年(享年82)
在位 876年(9歳)~884年(17歳)

平安時代

・清和天皇と藤原高子(二条后)の皇子

・9歳で即位。藤原基経が摂政となる。

・性格が荒々しく奇行が絶えないため、16歳で皇位を廃された。

・その後は65年間も上皇の座を保つほど長寿であった。

・百人一首13「つくばねの

 

 

56代 清和(せいわ)天皇(位858-876)

56代 清和(せいわ)天皇

生没 850年~880年(享年31)
在位 858年(9歳)~876年(27歳)

平安時代

・文徳帝が突然の病で崩御。清和天皇が9歳で即位。

・祖父の藤原良房が実権を握り、ここから藤原家の「摂関政治」が幕を開ける。

・「貞観格式(じょうがんきゃくしき)」など法整備を行う。

・清和帝は学問を好んだ。

・清和源氏の祖でもある

 

55代 文徳(もんとく)天皇(位850-858)

55代 文徳(もんとく)天皇

生没 827年~858年(享年32)
在位 850年(24歳)~858年(32歳)

平安時代

・仁明帝の崩御により即位。

・文徳帝は第1皇子の惟喬(これたか)親王の立太子を望んでいたが、藤原良房の意向で、良房の娘明子と文徳帝の子、惟仁(これひと)親王(清和天皇)が生後8カ月で皇太子となった。