2025年7月 – ページ 2 – 天皇note

70代 後冷泉(ごれいぜい)天皇(位1045-1068)

70代 後冷泉(ごれいぜい)天皇

生没 1025年~1068年(享年44)
在位 1045年(21歳)~1068年(44歳)

平安時代

・69代後朱雀帝と藤原嬉子(道長の娘。4人目の入内。)の第一皇子。

・関白・藤原頼通(宇治殿)が権力を握る。

・蹴鞠や和歌の会、管弦など風雅な遊びを好み、政治には関心を示さなかった。

・「前九年の役」が始まる(1051)。(源頼義が奥州の豪族・安倍氏を追討した戦い。源氏の勢力が関東に及ぶ契機となった。)

 

69代 後朱雀(ごすざく)天皇(位1036-1045)

69代 後朱雀(ごすざく)天皇

生没 1009年~1045年(享年37)
在位 1036年(28歳)~1045年(37歳)

平安時代

・一条天皇の第三皇子、敦良(あつなが)親王。母は彰子(道長の娘)。

・兄・68代後一条天皇の譲位で即位。政治の実権は、関白・藤原頼通(道長の息子)らに握られていた。

・比叡山で、最澄の弟子の円仁と円珍が対立し、京にも飛び火した。後朱雀帝はこれを自分のせいだと嘆いたという。

・疱瘡にかかり、出家後まもなく崩御。

 

68代 後一条(ごいちじょう)天皇(位1016-1036)

68代 後一条(ごいちじょう)天皇

生没 1008年~1036年(享年29)
在位 1016年(9歳)~1036年(29歳)

平安時代

・66代一条天皇の第二皇子、敦成(あつひら)親王。母は彰子(上東門院)(道長の娘)。

・三条天皇から譲位され、9歳で即位。

・祖父の藤原道長に擁立された。道長は摂政となり政治を主導した。

・後一条帝が11歳の時、8歳年上の叔母(道長の三女)の威子(いし/たけこ)を中宮に迎える。この時代には珍しく、ほかに妃を持たなかった。

・29歳で崩御。

 

67代 三条(さんじょう)天皇(位1011-1016)

67代 三条(さんじょう)天皇

生没 976年~1017年(享年42)
在位 1011年(36歳)~1016年(41歳)

平安時代

・63代冷泉帝の第二皇子、居貞(おきさだ)親王。

・藤原道長は、自身の孫の敦成(あつひら)親王(68代後一条天皇)の擁立を望んでいたため、三条帝はその中継ぎでしかなかった。

・眼病の悪化と道長からの圧力で、譲位し出家した。

・百人一首(68)「心にも」04『後拾遺和歌集』

 

66代 一条(いちじょう)天皇(位986-1011)

66代 一条(いちじょう)天皇

生没 980年~1011年(享年32)
在位 986年(7歳)~1011年(32歳)

平安時代

・64代 円融帝と詮子(せんし)(藤原兼家の娘)の第一皇子、懐仁(やすひと)親王(一条天皇)。

・祖父の藤原兼家が摂政となる。没後は兼家の子の道隆、道兼が摂政、関白となり、その後、道長が左大臣となり実権を握った。

・一条天皇にはすでに皇后の定子がいたが、藤原道長が娘の彰子を中宮とした。(一帝二妃)

・一条帝は温和な人柄で学を好み、延臣の信頼を集めた。四納言と呼ばれる藤原斉信、公任、行成、源俊賢らの才人が政務を助けた。

 

65代 花山(かざん)天皇(位984-986)

65代 花山(かざん)天皇

生没 968年~1008年(享年41)
在位 984年(17歳)~986年(19歳)

平安時代

・冷泉天皇の第一皇子である諸貞(もろさだ)親王が、64代 円融帝から譲位され、17歳で即位した。

・花山天皇が即位したときには、後ろ盾だった外祖父の藤原伊尹(これただ/兼家の兄/謙徳公(45))はすでに亡くなっており、伊尹の弟の兼家の時代であった。

・女御の藤原忯子(しし)が亡くなると出家を望むようになり、藤原兼家、道兼の策略にはまり出家した。

・出家後は仏道に励んだことで、西国巡礼の祖ともいわれる。

・和歌、絵画、建築、工芸、造園などにも非凡の才能を示した。

・花山天皇は『大和物語』(歌物語)の作者との説もある。

・『拾遺和歌集(しゅういわかしゅう)』(第三番目の勅撰和歌集・三代集の最後)の撰者か。(藤原公任(55)との説もあり)。

64代 円融(えんゆう)天皇(位969-984)

64代 円融(えんゆう)天皇

生没 959年~991年(享年33)
在位 969年(11歳)~984年(26歳)

平安時代

・村上天皇の第五皇子、守平(もりひら)親王。

・兄の63代 冷泉帝から譲位され、11歳で即位(円融天皇)。

・摂政は藤原実頼(忠平の長男)、藤原師輔(忠平の次男)の長男・伊尹(これただ)、師輔の三男・兼家など。

・円融帝は、兼通(藤原師輔の次男)と、兼家(三男)の、兄弟の権力争いに振り回された。円融帝と兼家は折り合いが悪かった。

・兼家の娘、詮子(せんし)との間に、皇子、懐仁(やすひと)親王が生まれる。(後の66代 一条帝)。

・円融帝は疲弊し、65代花山天皇に譲位。

<藤原摂関家>

基経

忠平
______
|    |
師輔   実頼

__________
|    |   |
兼家   兼通  伊尹

 

63代 冷泉(れいぜい)天皇(位967-969)

63代 冷泉(れいぜい)天皇

生没 950年~1011年(享年62)
在位 967年(18歳)~969年(20歳)

平安時代

・村上天皇の第二皇子、憲平(のりひら)親王が18歳で即位。

・藤原実頼(藤原忠平(26)の長男)と、師輔(もろすけ・忠平の次男)兄弟が権力を握っていた背景があり、第二皇子であった憲平親王を擁立した。

・藤原実頼(さねより)が関白となり、再び藤原氏の摂関政治が始まった。

・冷泉帝の母は師輔の娘・安子(あんし)。

・藤原氏が源高明(みなもとのたかあきら)に謀反の罪を着せて排斥する。(安和の変/あんなのへん・969)

・冷泉帝は1日中蹴鞠に明け暮れることもあったという。

 

62代 村上(むらかみ)天皇(位946-967)

62代 村上(むらかみ)天皇

生没 926年~967年(享年42)
在位 946年(21歳)~967年(42歳)

平安時代

・60代 醍醐天皇の第14皇子、成明(なりあきら)親王が、兄の61代 朱雀帝からの譲位により即位。

・関白・藤原忠平の没後は、摂政・関白は置かず、親政を行なう。

・徴税を徹底し、贅沢を禁じて倹約令を出すなど、財政の健全化をめざし「天暦の治(てんりゃくのち)」と称えられた。

・「村上源氏」の祖となる。「村上源氏」は後の宮廷政治に大きな影響を与えた。

・文学にも秀で『後撰和歌集』(二番目の勅撰和歌集)を編纂。詞書きが長く、贈答歌が多い。

「天徳内裏歌合わせ」を開催(960)。(40「しのぶれど」と41「恋すてふ」は、甲乙付けがたく、かろうじて40「しのぶれど」が勝ったという。)

・琴・琵琶などの楽器にも精通し、平安文化を開花させた。

 

61代 朱雀(すざく)天皇(位930-946)

61代 朱雀(すざく)天皇

生没 923年~952年(享年30)
在位 930年(8歳)~946年(24歳)

平安時代

・醍醐天皇の第11皇子の寛明(ゆたあきら)親王が即位する(朱雀天皇)。

・藤原基経の子・藤原忠平(26貞信公)が摂政・関白となる。

・朱雀帝は性格が温和で、忠平との関係もよく、この間に摂関政治の基礎ができたという。

・平将門の乱(939)、藤原純友の乱(941)が起こる。(承平・天慶の乱/じょうへい・てんぎょうのらん)。

・富士山の噴火、地震などの天変地異に見舞われる。

・朱雀帝には二人の女御がいたが、どちらにも子が生まれず、15年間皇太子不在だった。