2025年5月 – ページ 2 – 天皇note

19代 允恭(いんぎょう)天皇(位412-453)

19代 允恭天皇(いんぎょうてんのう)

生没 ?年~453年(享年?)
在位 412年~453年 (在位41年)

古墳時代

・18代反正天皇の弟

・『宋書』倭国伝の倭国王・済(せい)とみなされている。

・日本最古の温泉地・道後温泉に允恭天皇の兄の木梨軽皇子と妹が配流され心中したとされる。

 

18代 反正(はんぜい)天皇(位406-410)

18代 反正天皇(はんぜいてんのう)

生没 ?年~410年(享年?)
在位 406年~410年 (在位5年)

古墳時代

・17代履中天皇の弟

・歯が健康だった

・『宋書』倭国伝の倭国王・珍(ちん)と見なされている。宋から「安東将軍(あんとんしょうぐん)」の称号を与えられていたか?

・丹比芝籬宮(たじひしばがきのみや)(大阪府松原市)を築く。

・在位5年は五穀豊穣、天下太平であったという。

 

17代 履中(りちゅう)天皇(位400-405)

17代 履中天皇(りちゅうてんのう)

生没 ?年~405年(享年?)
在位 400年~405年 (在位5年)

古墳時代

・16代仁徳天皇の第一皇子。

・都と地方で文書のやり取りをする国司を設置。

・『宋書』倭国伝の倭国王・讃(さん)と見なされている。

 

16代 仁徳(にんとく)天皇(位313-399)

16代 仁徳天皇(にんとくてんのう)

生没 257年~399年(享年143)
在位 313年~399年 57~143歳(在位86年)

古墳時代

・実在が確認できる最初の天皇と考えられている

・都を大和(奈良)から河内(大阪)へ移す

・高句麗の好太王碑文(こうたいおうひぶん)の朝鮮遠征は仁徳と考えられる。

・困窮する民を見て3年間免税。水害を防ぐため堤防を築くなど仁政をしく

・大仙陵古墳(堺市)は疑問視されている

 

 

15代 応神(おうじん)天皇(位270-310)

15代 応神天皇(おうじんてんのう)

生没 200年~310年(享年111)
在位 270年~310年 71~111歳(在位40年)

弥生時代・神代

・母は神功皇后。

・多くの渡来人が来日

・百済の学者・王仁(わに)が儒教『論語』をもたらす。

・酒造・養蚕の技術も伝わる

 

 

 

13代 成務(せいむ)天皇(位131-190)

13代 成務天皇(せいむてんのう)

生没 84~190年(享年107)
在位 131~190年(在位59年)48~107歳

弥生時代・神代

・12代景行天皇の子

・ヤマトタケルノミコトの異母弟

・蘇我氏の祖、武内宿禰(たけのうちのすくね)を大臣(おおおみ)として重用。

・国に造長(みやつこおさ)、県村(あがたむら)に稲置(いなぎ)を置く。

・地方行政に整備に力を注ぎ、天下太平の世が続いたという

12代 景行(けいこう)天皇(位71-130)

12代 景行天皇(けいこうてんのう)

生没 前13~130年(享年143)
在位 71~130年(在位59年)84~143歳

弥生時代・神代

・11代垂仁天皇の第三皇子

・子は双子。大碓皇子(おおうすのみこ)、小碓尊(おうすのみこと)=後の日本武尊(やまとたけるのみこと)

・ヤマトタケルが熊襲(クマソ)を討伐。

11代 垂仁(すいにん)天皇(位前29-70)

11代 垂仁天皇(すいにんてんのう)

生没 前69~70年(享年130)
在位 前29~70年(在位99年)41~139歳

弥生時代・神代

・10代崇神天皇の第三皇子

・伊勢神宮の創始(伊勢五十鈴川のほとりに天照大神を祀った祠を建てる)

・当麻(たぎま)の 蹶速(けはや)と出雲の野見宿禰(のみのすくね)との戦い相撲節会(すまいのせちえ)は相撲の起源に

・野見宿禰の提案で、殉死を禁じ、埴輪に変えた

・田道間守(たじまもり)に常世国(とこよのくに)(不老不死の理想郷)から不老不死の妙薬、橘を持ち帰るよう命じた。