52代 嵯峨(さが)天皇
生没 786年~842年(享年57)
在位 809年(24歳)~823年(38歳)
平安時代
・平城上皇が挙兵したがこれを嵯峨帝は鎮圧する。(薬子の変(810))
・以後、嵯峨帝の御代は政局が安定。
・皇室の儀礼や、律令の補足・修正が行われた。
・華やかな弘仁文化が花開く。中国歴史、漢詩、書道などが発展。
・嵯峨天皇は、橘逸勢、弘法大師空海とともに三筆と呼ばれる書の名手となった。
52代 嵯峨(さが)天皇
生没 786年~842年(享年57)
在位 809年(24歳)~823年(38歳)
平安時代
・平城上皇が挙兵したがこれを嵯峨帝は鎮圧する。(薬子の変(810))
・以後、嵯峨帝の御代は政局が安定。
・皇室の儀礼や、律令の補足・修正が行われた。
・華やかな弘仁文化が花開く。中国歴史、漢詩、書道などが発展。
・嵯峨天皇は、橘逸勢、弘法大師空海とともに三筆と呼ばれる書の名手となった。
51代 平城(へいぜい)天皇
生没 774年~824年(享年51)
在位 806年(33歳)~809年(36歳)
平安時代
・桓武帝の第一皇子。
・財政難の立て直しに尽力。官僚組織を改革した。
・妻の母・薬子に惹かれ、寵愛した。
・病弱だったため弟の神野(じんの)親王に譲位。
50代 桓武(かんむ)天皇
生没 737年~806年(享年70)
在位 781年(45歳)~806年(70歳)
平安時代
・皇太子の他戸(おさべ)親王が廃されて代わりに皇太子となり、譲位され即位。母は百済からの渡来系氏族の高野新笠。
・妻が26人、子供が35人いた。
・平城京から長岡京に遷都(784)
・東北の蝦夷討伐。坂上田村麻呂を征夷大将軍とした。(801~804)
・長岡京から平安京へ遷都(794)。平安時代が始まる。