3代 安寧天皇(あんねいてんのう)
生没 前577~前511年(享年67歳)
在位 前549~前511年(在位38年)28~67歳
縄文時代・神代
・欠史八代
・父は2代綏靖天皇、母は五十鈴依媛尊(いすずよりひめのみこと)=事代主神(ことしろぬしのかみ)の娘。
※事代主神:七福神の恵比寿神と同一視されている。大国主命(おおくにぬしのみこと)の子。
※大国主命(オオクニヌシノミコト)は出雲大社の神。
大国主命
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事代主神
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五十鈴依媛尊=綏靖
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安寧天皇
3代 安寧天皇(あんねいてんのう)
生没 前577~前511年(享年67歳)
在位 前549~前511年(在位38年)28~67歳
縄文時代・神代
・欠史八代
・父は2代綏靖天皇、母は五十鈴依媛尊(いすずよりひめのみこと)=事代主神(ことしろぬしのかみ)の娘。
※事代主神:七福神の恵比寿神と同一視されている。大国主命(おおくにぬしのみこと)の子。
※大国主命(オオクニヌシノミコト)は出雲大社の神。
大国主命
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事代主神
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五十鈴依媛尊=綏靖
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安寧天皇
4代 懿徳天皇(いとくてんのう)
生没 前553~前477年(享年77歳)
在位 前510~前477年(在位34年)44~77歳
縄文時代・神代
・欠史八代
・安寧天皇の第2子
・即位後、都を軽曲峡宮(かるのまがりおのみや)(奈良県・橿原市)に移した。
5代 孝昭天皇(こうしょうてんのう)
生没 前506~前393年(享年114歳)
在位 前475~前393年(在位83年)32~114歳
縄文時代・神代
・欠史八代
・懿徳(いとく)天皇の皇子
・都を腋上(わきのがみ)へ
6代 孝安天皇(こうあんてんのう)
生没 前427~前291年(享年137歳)
在位 前392~前291年(在位102年)34~137歳
縄文時代・神代
・欠史八代
・孝昭天皇の第2子
・室秋津嶋宮を建てた
7代 孝霊天皇(こうれいてんのう)
生没 前342~前215年(享年128歳)
在位 前290~前215年(在位年)53~128歳
弥生時代・神代
・欠史八代
・ヤマトトヒモモソヒメノミコト(卑弥呼?)や、四道将軍の一人、吉備津彦命(キビツヒコノミコト)の父
8代 孝元天皇(こうげんてんのう)
生没 前273~前158年(享年116歳)
在位 前214~前158年(在位56年)60~116歳
弥生時代・神代
・欠史八代
・武内宿禰(たけのうちすくね)(神功皇后に仕えた)の曾祖父。
9代 開化天皇(かいかてんのう)
生没 前208~前98年(享年111歳)
在位 前158~前98年(在位61年)50歳~111歳
弥生時代・神代
・欠史八代の最後の天皇
・父の妃を皇后にして崇神天皇をもうけたとされる
10代 崇神天皇(すじんてんのう)
生没 前148~前30年(享年119歳)
在位 前97~前30年(在位68年)52歳~119歳
弥生時代・神代
・記紀の記述より事実上初の初代の天皇とみなし、実在の可能性が高いとされる
・御肇国天皇(はつくにしらす すめらみこと)
・ヤマト政権の創始者とも
・四道将軍を派遣(北陸・東海・西海・丹波)
・出雲の豪族・振根(ふるね)を征して勢力を広げる
・灌漑を行って農地を整備するなど善政を行ったという
・大物主神(おおものぬしのかみ)を三輪山に祭ると国中が平和になった
11代 垂仁天皇(すいにんてんのう)
生没 前69~70年(享年130歳)
在位 前29~70年(在位99年)41歳~139歳
弥生時代・神代
・10代崇神天皇の第三皇子
・伊勢神宮の創始(伊勢五十鈴川のほとりに天照大神を祀った祠を建てる)
・当麻(たぎま)の 蹶速(けはや)と出雲の野見宿禰(のみのすくね)との戦い相撲節会(すまいのせちえ)は相撲の起源に
・野見宿禰の提案で、殉死を禁じ、埴輪に変えた
・田道間守(たじまもり)に常世国(とこよのくに)(不老不死の理想郷)から不老不死の妙薬、橘を持ち帰るよう命じた。
12代 景行天皇(けいこうてんのう)
生没 前13~130年(享年143歳)
在位 71~130年(在位59年)84歳~143歳
弥生時代・神代
・11代垂仁天皇の第三皇子
・子は双子。大碓皇子(おおうすのみこ)、小碓尊(おうすのみこと)=後の日本武尊(やまとたけるのみこと)
・ヤマトタケルが熊襲(クマソ)を討伐。