110代 後光明(ごこうみょう)天皇
生没 1633年~1654年(享年22)
在位 1643年(11歳)~1654年(22歳)
江戸時代
・異母姉の109代明正天皇より譲位を受け、11歳で即位。
・学問は漢学・漢詩を好んだ。剣術にも長け、文武両道であった。
・20歳ごろから政務にも積極的に取り組むも、天然痘により22歳で急死。
110代 後光明(ごこうみょう)天皇
生没 1633年~1654年(享年22)
在位 1643年(11歳)~1654年(22歳)
江戸時代
・異母姉の109代明正天皇より譲位を受け、11歳で即位。
・学問は漢学・漢詩を好んだ。剣術にも長け、文武両道であった。
・20歳ごろから政務にも積極的に取り組むも、天然痘により22歳で急死。
109代 明正(めいしょう)天皇
生没 1623年~1696年(享年74)
在位 1629年(7歳)~1643年(21歳)
江戸時代
・860年ぶりの女帝であった。
(奈良時代・48代・称徳天皇(位764-770)以来)
・7歳で即位したため、後水尾上皇が実権を握る。
108代 後水尾(ごみずのお)天皇
生没 1596年~1680年(享年85)
在位 1611年(16歳)~1629年(34歳)
江戸時代
・父・107代後陽成天皇と同じく、江戸幕府に抵抗した。
・「禁中並公家諸法度」が制定され、幕府の厳しい監視下におかれる(1615)
・江戸幕府・2代将軍・徳川秀忠と江との娘、徳川和子が入内する。
・「紫衣(しえ)事件」などをきっかけに、109代明正天皇に譲位を強行した。
107代 後陽成(ごようぜい)天皇
生没 1571年~1617年(享年47)
在位 1586年(16歳)~1611年(47歳)
安土桃山時代
・祖父・106代正親町天皇から譲位を受けて16歳で即位。後ろ盾となったのが天皇の権威を求めていた豊臣秀吉だった。
・秀吉は猶子(養子)の、近衛前子(このえさきこ)を養女として入内させて、後陽成天皇の外戚になり、財政面で手厚く保護した。
・次に天下を平定した江戸幕府・初代将軍・徳川家康は朝廷に干渉し始める。後陽成天皇とは確執があったという。
106代 正親町(おおぎまち)天皇
生没 1517年~1593年(享年77)
在位 1557年(41歳)~1586年(77歳)
安土桃山時代
・父・105代後奈良天皇が崩御すると41歳で即位。(毛利元就の献金による)
・織田信長の豊かな財力に助けられ、御所の修繕などを行う。また伊勢神宮の式年遷宮を123年ぶりに執り行った。
105代 後奈良(ごなら)天皇
生没 1496年~1557年(享年62)
在位 1526年(31歳)~1557年(62歳)
室町時代
・父・104代後柏原天皇が崩御。第二皇子の後奈良天皇が即位。
・応仁の乱の余波による財政難で、践祚(せんそ・先帝の没後に即位すること)の10年後にようやく即位の礼が行われた。
・これらの献金元は戦国大名だった。関東では今川氏、北条氏が勢力を増し下剋上の時代を迎えていた。
104代 後柏原(ごかしわばら)天皇
生没 1464年~1526年(享年63)
在位 1500年(37歳)~1526年(63歳)
室町時代
・応仁の乱の余波に苦しむ。即位の礼の資金も集められず、即位式は22年後となった。
・そんな中でも後柏原天皇は儀式の再興などに力を尽くした。敬虔な仏教徒で民の平安を願って般若心経を写経したり、伊勢神宮で祈願したりしたという。
・「いたずらに寝る夜の夢をいさめてはここに鳴きうる鶏の声」
家集『柏玉集』(七十二候「鶏始乳」和歌)
103代 後土御門(ごつちみかど)天皇
生没 1442年~1500年(享年59)
在位 1464年(23歳)~1500年(59歳)
室町時代
・父・102代後花園天皇の譲位により即位。
・応仁の乱が勃発し(1467)巻き込まれていく。足利義政の室町第(むろまちだい)へと逃れた。室町幕府は衰退し、戦後の乱世へ突入。
102代 後花園(ごはなぞの)天皇
生没 1419年~1470年(享年52)
在位 1428年(10歳)~1464年(46歳)
室町時代
・「正長の土一揆(1428)」(初の民衆蜂起)、「嘉吉の乱(6代室町将軍・足利義教の暗殺)」(1441)など、重大事件や災害が相次いだ。
・後花園天皇は、「応仁の乱」で山名宗全側(西軍)にも、細川勝元側(東軍)にも付かなかった。(『日本の歴史』石ノ森章太郎 11巻p282)
責任は自身の不徳にあるとして出家した。
101代 称光(しょうこう)天皇
生没 1401年~1428年(享年28)
在位 1412年(12歳)~1428年(28歳)
室町時代
・病弱で精神的な疾患を抱えていたといわれる。
・父の100代後小松上皇と折り合いが悪く、出家しようとするも、4代将軍・足利義持の説得を受けて思いとどまる。
北朝6代/100代 後小松(ごこまつ)天皇
生没 1377年~1433年(享年57)
在位 1382年(6歳)~1412年(36歳)
室町時代
・父・北5代 後円融天皇から譲位を受けて即位。
・南北朝合一が実現(1392)。南朝の後亀山天皇から三種の神器を受け継ぎ、皇統は統一された。
・室町幕府の足利義満が「治天の君(実権を持つ君主)」の権限を吸収したため、後小松天皇が実権を握ることはなかった。
・一休宗純は後小松天皇の庶子ではという説がある。
北朝5代 後円融(ごえんゆう)天皇
生没 1358年~1393年(享年36)
在位 1371年(14歳)~1382年(25歳)
南北朝時代
・後円融天皇と室町3代将軍・足利義満は同い年でいとこ同士。たびたび衝突した。
・100代後小松天皇に譲位したあとは院政をしいたが、公家衆は義満に従い、治天の君としての権力は有名無実であった。
北4代 後光厳(ごこうごん)天皇
生没 1338年~1374年(享年37)
在位 1352年(15歳)~1371年(34歳)
南北町時代
・室町幕府が出家予定だった後光厳天皇を擁立(北1光厳の第2皇子)し、北朝を再興した。
・南朝の攻勢が激しさを増し、美濃や近江への逃亡を余儀なくされる。
・1366年、室町幕府3代将軍・足利義満が後光厳天皇から「義満」の名を賜る。
・『竹取物語』の写しを書いたといわれる。これは現存する最古のもの。
北3代 崇光(すこう)天皇
生没 1334年~1398年(享年65)
在位 1348年(15歳)~1351年(18歳)
南北朝時代
・叔父の北2代光明天皇の譲位を受け即位。しかし3年後、正平の一統がなり一時的に北朝が廃され、退位を余儀なくされる。
・1352年、北1光厳上皇、北2光明とともに南朝に賀名生に幽閉される。5年後帰京を許されたが、子孫ともども皇位を望まないことを誓約させられた。
・琵琶や和琴、神楽などで才を発揮した。
北2代 光明(こうみょう)天皇
生没 1321年~1380年(享年60)
在位 1336年(16歳)~1348年(28歳)
南北朝時代
・京都を制圧した足利尊氏に擁立される(1336)。当時、後醍醐天皇が三種の神器を持って比叡山に立てこもっていたため、三種の神器はないまま即位した。
・禅に帰依し、僧侶・夢窓疎石(むそうそせき)に師事する一方、中世の天皇には珍しく合理的精神の持ち主で、療養のために当時タブーであった獣肉を食べることもあったという。
北1代 光厳(こうごん)天皇
生没 1313年~1364年(享年52)
在位 1331年(19歳)~1333年(21歳)
南北朝時代
・隠岐に流された96代後醍醐天皇に変わって室町幕府に擁立される。
・1336年、打倒建武政権の兵を挙げた足利尊氏の要請に応じて院宣(いんぜん)を発し、尊氏の挙兵に大義名分を与えた。
・弟の北2代光明天皇の即位後は、治天の君として15年間院政をしいたが、正平の一統後、南朝に連れ去られ、賀名生(あのう)(奈良県五條市)に幽閉された。
・帰京後出家して丹波の常照寺に隠棲した。
・17番目の勅撰和歌集『風雅(ふうが)和歌集』を編纂。
99代 後亀山(ごかめやま)天皇
生没 ?年~1424年
在位 1383年~1392年
南北朝時代
・北朝に対して強硬派の兄の98代長慶天皇から譲位され即位。北朝との和平を模索する。
・室町幕府側との折衝を続け、1392年、三種の神器を北朝に渡して、60年ぶりに南北朝の合一が成し遂げられた。
・出家し、嵯峨大覚寺に住んだ。
98代 長慶(ちょうけい)天皇
生没 1343年~1394年(享年52)
在位 1368年(26歳)~1383年(41歳)
南北朝時代
・北朝に対して強固な態度で臨んだといわれる。父・97代後村上天皇の時代には、幕府との和平交渉もあったが、長慶天皇の治世中は一切なかった。
・『新葉和歌集』に50首以上入首。また『源氏物語』の注釈書『仙源抄(せんげんしょう)』を著した。
97代 後村上(ごむらかみ)天皇
生没 1328年~1368年(享年41)
在位 1339年(12歳)~1368年(41歳)
室町(南北朝)時代
・幼少から戦場に身を置き、軍事的才能を磨く一方、学問にも長けた文武両道の帝王であった。
・義良(のりよし)親王時代、北畠顕家とともに奥州に下る。
・南北朝の動乱が始まると京に戻り、幕府軍と戦う。
・吉野で即位。南朝は終始劣勢だったが、一時幕府側の内紛で北朝が廃され、後村上が唯一の天皇となった(正平の一統)
96代 後醍醐(ごだいご)天皇
生没 1288年~1339年(享年52)
在位 1318年(31歳)~1339年(52歳)
室町(南北朝)時代
・31歳という、中世では珍しい高齢での即位であった。
・「延喜・天暦の治」を理想として親政を推進した。家柄にとらわれず、有能な廷臣を重用する。
・倒幕をもくろみ、笠置山で挙兵(1331)。失敗し、隠岐に流されたが、各地の武士も反幕府に転じ、足利尊氏、新田義貞らの活躍で、鎌倉幕府が滅亡。
・京に帰還した後醍醐天皇は「建武の新政」と呼ばれる政治改革を行う。しかし公家中心の政治であったため、武士の反発を招き2年で崩壊。
・足利尊氏が室町幕府を開き、持明院統の北2代光明天皇を擁立。後醍醐は三種の神器を携えて、奈良・吉野へ下り、南北朝時代が幕を開ける。