鎌倉 – ページ 4 – 天皇note

86代 後堀河(ごほりかわ)天皇(位1221-1232)

86代 後堀河(ごほりかわ)天皇

生没 1212年~1234年(享年23)
在位 1221年(10歳)~1232年(21歳)

鎌倉時代

・「承久の乱」(1221)で三人の上皇が一度に配流されたため、82代後鳥羽上皇の兄の子である後堀河天皇が10歳で擁立された。

・後堀河帝の父の守貞親王が後高倉院として院政を行う。皇位の経験なく、出家していた親王が「治天の君」(実質的な君主)となるのは異例。

・『新勅撰和歌集』を編纂(1235)。撰者は藤原定家。武家の歌も多く取り入れられ『宇治川集』などと呼ばれた。

 

 

 

85代 仲恭(ちゅうきょう)天皇(位1221-1221)

85代 仲恭(ちゅうきょう)天皇

生没 1218年~1234年(享年17)
在位 1221年(4歳)~1221年(4歳)

鎌倉時代
・84代 順徳天皇の第一皇子。

・順徳帝より譲位を受けて、挙兵前月の1221年4月に、急遽即位した。祖父・82代後鳥羽上皇の倒幕計画に、父・順徳天皇も参加したため。

・2カ月で京方は敗北し、仲恭天皇は叔父の摂政・九条道家の邸宅に逃れた。

・幕府の意向により退位し、86代後堀河天皇に譲位。九条廃帝、後廃帝(のちのはいてい)などと呼ばれ、明治時代になってようやく仲恭天皇とおくり名された。

 

84代 順徳(じゅんとく)天皇(位1210-1221)

84代 順徳(じゅんとく)天皇

生没 1197年~1242年(享年46)
在位 1210年(14歳)~1221年(25歳)

鎌倉時代
・82代 後鳥羽天皇の第三皇子。

・学問を好み、『禁秘抄(きんぴしょう)』(1221)(禁中の宮中行事、故実、作法等を記した有職故実書)などを残した。

・歌論書『八雲御抄(やくもみしょう)』、歌集など。

・反幕府派で、後鳥羽上皇の統幕計画に関与。「承久の乱」(1221)で敗北し、佐渡に流される。

・藤原定家は『新勅撰和歌集』には、幕府を憚(はばか)って(差し控える。遠慮する)順徳天皇の歌は採用しなかったが、小倉百人一首には「ももしきや」(100)の歌を採用した。