鎌倉 – ページ 3 – 天皇note

89代 後深草(ごふかくさ)天皇(位1246-1259)

89代 後深草(ごふかくさ)天皇

生没 1243年~1304年(享年62)
在位 1246年(4歳)~1259年(17歳)

鎌倉時代

・後嵯峨天皇(88代)の第三皇子である久仁(ひさひと)親王が4歳で即位。

・腰が悪く幼少時は立つこともおぼつかなかった。そのため父は弟の亀山天皇に期待をかけたという。

・弟の亀山天皇と皇位を争い、「持明院統」の祖となる。

・治世中は内裏の焼亡や飢饉などの災害に悩まされた。

・自身の子である92代伏見天皇の即位後、院政を敷くが、2年余で出家し法皇となる。

・『とはずがたり』の著者・二条が入内したのが後深草天皇。(『後宮』海野つなみ)

88後嵯峨
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[大覚寺統]       [持明院統]
90亀山          89後深草
|            |
91後宇多         92伏見
|______      |______
|[南朝]    |     |     |
96後醍醐 94後二条   95花園  93後伏見
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97後村上

88代 後嵯峨(ごさが)天皇(位1242-1246)

88代 後嵯峨(ごさが)天皇

生没 1220年~1272年(享年53)
在位 1242年(23歳)~1246年(27歳)

鎌倉時代
・土御門天皇の第三皇子、邦仁親王。四条天皇の突然の崩御により即位。

・承久の乱に関係のなかった邦仁親王が幕府の意向により推された。

・鎌倉幕府と親密な関係を築き、後嵯峨帝の第1皇子の宗尊(むねたか)親王が初の宮将軍となる。

・院評定衆や院伝奏などの制度を整え、院政の制度化を進めた。

・2代(89後深草、90亀山)、26年にわたって院政をしいた。

・『続後撰和歌集(しょくごせんわかしゅう)』(小倉百人一首の第十番目の勅撰集)を編纂した。

 

88後嵯峨
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[大覚寺統]       [持明院統]
90亀山          89後深草
|            |
91後宇多         92伏見
|______      |_____
|      |     |     |
96後醍醐 94後二条   95花園  93後伏見
|                __|___
97後村上            |      |
|______        北2光明  北1光厳
|      |            __|___
99後亀山 98長慶           |      |
_________________北4後光厳   北3崇光
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_________________北5後円融
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_________________100後小松

 

87代 四条(しじょう)天皇(位1232-1242)

87代 四条(しじょう)天皇

生没 1231年~1242年(享年12)
在位 1232年(2歳)~1242年(12歳)

鎌倉時代
・後堀河天皇の第一皇子、秀仁(みつひと)親王。

・祖父の九条道家によって擁立され、2歳で即位。関東申次の西園寺公経らが実権を握る。

・元号の「暦仁(りゃくにん)」は二ヶ月半で改元された。(一番短い)

・御所内の事故がもとで亡くなった。いたずらで女房らを転ばせようとして板敷に滑石を塗ったところ、誤って自分が転んでしまったという。