鎌倉 – ページ 2 – 天皇note

92代 伏見(ふしみ)天皇(位1287-1298)

92代 伏見(ふしみ)天皇

生没 1265年~1317年(享年53)
在位 1287年(23歳)~1298年(34歳)

鎌倉時代
・89代後深草天皇の第一皇子。

・大覚寺統の91代後宇多天皇に代わり、持明院統の伏見帝が即位。

・さらに伏見天皇の第一皇子の胤仁(たねひと)親王(後の93代後伏見帝)を立太子させたため、両統の対立が深まる。

・「持明院統」の名はこの伏見帝が持明院殿に住んでいたことに由来する。

・浅原為頼が宮中に乱入し、伏見帝暗殺未遂事件が起こる。(1290)。公卿の三条実盛も捕縛され、叔父の亀山帝の関与も噂された。

・書の名手であった伏見帝は伏見院流の祖となる。

88後嵯峨
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[大覚寺統]     [持明院統]
90亀山        89後深草
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91後宇多         92伏見
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96後醍醐 94後二条   95花園  93後伏見
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97後村上

 

 

91代 後宇多(ごうだ)天皇(位1274-1287)

91代 後宇多(ごうだ)天皇

生没 1267年~1324年(享年58)
在位 1274年(8歳)~1287年(21歳)

鎌倉時代

・父・90代亀山帝から譲位され即位。大覚寺統が2代続く。

・第一皇子の94代後二条天皇が即位した際は院政をしいた。

・『新後撰和歌集』『続千載和歌集』の撰進を命じ、大規模な歌会を催すなど和歌の振興にも尽くした。

・寵愛した皇后・遊義門院が亡くなると出家。第ニ皇子・96代後醍醐天皇が即位すると、院政を停止した。

・『増鏡』(二条良基)で、後醍醐天皇の夢に父として出てくる。(古文レベル2-⑦)

88後嵯峨
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[大覚寺統]       [持明院統]
90亀山          89後深草
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91後宇多         92伏見
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96後醍醐 94後二条   95花園  93後伏見
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97後村上

90代 亀山(かめやま)天皇(位1259-1274)

90代 亀山(かめやま)天皇

生没 1249年~1305年(享年57)
在位 1259年(11歳)~1274年(26歳)

鎌倉時代

・後嵯峨天皇(88代)の第七皇子、恒仁(つねひと)親王が、兄・後深草天皇(89代)の譲位を受けて11歳で即位。

・心が大きく英明な人柄で、母・大宮院の後押しで幕府から「治天の君」とされる。

・兄の89代後深草が「持明院統」であるのに対して、亀山帝は「大覚寺統」の祖となる。

・2度の蒙古襲来(文永の役1274 弘安の役1281)を受ける。伊勢神宮へ祈りを捧げた。

・所領や訴訟制度の整備を進め、徳政と称えられた。

・西園寺実兼などに働きかけて、孫の94代後二条天皇を即位させ、大覚寺統の復権を図った。

88後嵯峨
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[大覚寺統]       [持明院統]
90亀山          89後深草
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91後宇多         92伏見
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96後醍醐 94後二条   95花園  93後伏見
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97後村上