古墳 – ページ 3 – 天皇note

26代 継体(けいたい)天皇(位507-531)

26代 継体天皇(けいたいてんのう)

生没 450年~531年(享年82)
在位 507年~531年 58~82歳(在位24年)

古墳時代

・15代応神天皇の5世の孫・男大迹王(おおとのおう/おおどのおう)は、近江(滋賀)や越前(福井)の豪族だった。

大伴金村に促されて、河内国・樟葉宮(くすはのみや)で即位。20年後にようやく大和(奈良)に入った。

・養蚕や農業の振興に尽力した。

・筑紫国(645年に筑前国・筑後国に分割)で、地方豪族である「磐井(いわい)の反乱(527)」が起こる。

磐井は新羅と結んでいた。継体天皇は、物部麁鹿火(もののべのあらかひ/あらかい)を派遣し、これを鎮圧。

鎮圧後は、ヤマト王権の直轄地である屯倉(みやけ)を設定して、筑紫支配を強化した。

「岩戸山古墳(福岡県)」は磐井の墓とされる。石人、石馬などが出土した。

 

25代 武烈(ぶれつ)天皇(位498-506)

25代 武烈天皇(ぶれつてんのう)

生没 489年~506年(享年18)
在位 498年~506年 10~18歳(在位8年)

古墳時代

・24代仁賢天皇の第一皇子、泊瀬稚鷦鷯尊(おはつせの わかさざきの みこと)。

・仁賢天皇が崩御し、大臣の平郡真鳥(へぐりのまとり)が国政を欲しいままにした。大伴金村がこれを征伐し、皇太子が即位、武烈天皇となった。

・『日本書紀』には、武烈天皇は「悪逆非道の暴君」になったとあるが、その大げさなまでの記述は、次の26代継体天皇を正当化するためではともいわれる。

『古事記』にはそのような悪行の記述は一切なく、「8年間治めたのち、譲位した」とのみ書かれている。

 

↓↓平郡真鳥を討つ大伴金村。


(月岡芳年@大日本名将鑑)

 

24代 仁賢(にんけん)天皇(位488-498) 

24代 仁賢天皇(にんけんてんのう)

生没 449年~498年(享年48)
在位 488年~498年 40~50歳(在位11年)

古墳時代

・24代顕宗天皇の兄。

・弟の顕宗天皇(弘計・おけ)が亡くなり、兄の億計(おけ)が即位、仁賢天皇となった。

・謙虚で温厚。父の仇である21代雄略天皇の墓を、弟が破壊しようとしたのをなだめた。

・11年の治世の間には五穀豊穣、人口も増え、大いに繁栄したことが『日本書紀』にある。