平安 – ページ 6 – 天皇note

67代 三条(さんじょう)天皇(位1011-1016)

67代 三条(さんじょう)天皇

生没 976年~1017年(享年42)
在位 1011年(36歳)~1016年(41歳)

平安時代

・63代冷泉帝の第二皇子、居貞(おきさだ)親王。

・藤原道長は、自身の孫の敦成(あつひら)親王(68代後一条天皇)の擁立を望んでいたため、三条帝はその中継ぎでしかなかった。

・眼病の悪化と道長からの圧力で、譲位し出家した。

・百人一首(68)「心にも」04『後拾遺和歌集』

 

66代 一条(いちじょう)天皇(位986-1011)

66代 一条(いちじょう)天皇

生没 980年~1011年(享年32)
在位 986年(7歳)~1011年(32歳)

平安時代

・64代 円融帝と詮子(せんし)(藤原兼家の娘)の第一皇子、懐仁(やすひと)親王(一条天皇)。

・祖父の藤原兼家が摂政となる。没後は兼家の子の道隆、道兼が摂政、関白となり、その後、道長が左大臣となり実権を握った。

・一条天皇にはすでに皇后の定子がいたが、藤原道長が娘の彰子を中宮とした。(一帝二妃)

・一条帝は温和な人柄で学を好み、延臣の信頼を集めた。四納言と呼ばれる藤原斉信、公任、行成、源俊賢らの才人が政務を助けた。

 

65代 花山(かざん)天皇(位984-986)

65代 花山(かざん)天皇

生没 968年~1008年(享年41)
在位 984年(17歳)~986年(19歳)

平安時代

・冷泉天皇の第一皇子である諸貞(もろさだ)親王が、64代 円融帝から譲位され、17歳で即位した。

・花山天皇が即位したときには、後ろ盾だった外祖父の藤原伊尹(これただ/兼家の兄/謙徳公(45))はすでに亡くなっており、伊尹の弟の兼家の時代であった。

・女御の藤原忯子(しし)が亡くなると出家を望むようになり、藤原兼家、道兼の策略にはまり出家した。

・出家後は仏道に励んだことで、西国巡礼の祖ともいわれる。

・和歌、絵画、建築、工芸、造園などにも非凡の才能を示した。

・花山天皇は『大和物語』(歌物語)の作者との説もある。

・『拾遺和歌集(しゅういわかしゅう)』(第三番目の勅撰和歌集・三代集の最後)の撰者か。(藤原公任(55)との説もあり)。