平安 – ページ 7 – 天皇note

64代 円融(えんゆう)天皇(位969-984)

64代 円融(えんゆう)天皇

生没 959年~991年(享年33)
在位 969年(11歳)~984年(26歳)

平安時代

・村上天皇の第五皇子、守平(もりひら)親王。

・兄の63代 冷泉帝から譲位され、11歳で即位(円融天皇)。

・摂政は藤原実頼(忠平の長男)、藤原師輔(忠平の次男)の長男・伊尹(これただ)、師輔の三男・兼家など。

・円融帝は、兼通(藤原師輔の次男)と、兼家(三男)の、兄弟の権力争いに振り回された。円融帝と兼家は折り合いが悪かった。

・兼家の娘、詮子(せんし)との間に、皇子、懐仁(やすひと)親王が生まれる。(後の66代 一条帝)。

・円融帝は疲弊し、65代花山天皇に譲位。

<藤原摂関家>

基経
|
忠平
______
|    |
師輔   実頼
|
__________
|    |   |
兼家   兼通  伊尹

 

63代 冷泉(れいぜい)天皇(位967-969)

63代 冷泉(れいぜい)天皇

生没 950年~1011年(享年62)
在位 967年(18歳)~969年(20歳)

平安時代

・村上天皇の第二皇子、憲平(のりひら)親王が18歳で即位。

・藤原実頼(藤原忠平(26)の長男)と、師輔(もろすけ・忠平の次男)兄弟が権力を握っていた背景があり、第二皇子であった憲平親王を擁立した。

・藤原実頼(さねより)が関白となり、再び藤原氏の摂関政治が始まった。

・冷泉帝の母は師輔の娘・安子(あんし)。

・藤原氏が源高明(みなもとのたかあきら)に謀反の罪を着せて排斥する。(安和の変/あんなのへん・969)

・冷泉帝は1日中蹴鞠に明け暮れることもあったという。

 

62代 村上(むらかみ)天皇(位946-967)

62代 村上(むらかみ)天皇

生没 926年~967年(享年42)
在位 946年(21歳)~967年(42歳)

平安時代

・60代 醍醐天皇の第14皇子、成明(なりあきら)親王が、兄の61代 朱雀帝からの譲位により即位。

・関白・藤原忠平の没後は、摂政・関白は置かず、親政を行なう。

・徴税を徹底し、贅沢を禁じて倹約令を出すなど、財政の健全化をめざし「天暦の治(てんりゃくのち)」と称えられた。

・「村上源氏」の祖となる。「村上源氏」は後の宮廷政治に大きな影響を与えた。

・文学にも秀で『後撰和歌集』(二番目の勅撰和歌集)を編纂。詞書きが長く、贈答歌が多い。

・「天徳内裏歌合わせ」を開催(960)。(40「しのぶれど」と41「恋すてふ」は、甲乙付けがたく、かろうじて40「しのぶれど」が勝ったという。)

・琴・琵琶などの楽器にも精通し、平安文化を開花させた。