江戸 – ページ 5 – 天皇note

109代 明正(めいしょう)天皇(位1627-1643)※

109代 明正(めいしょう)天皇

生没 1623年~1696年(享年74)
在位 1629年(7歳)~1643年(21歳)

江戸時代

・108代 後水尾天皇の第二皇女。明正天皇の母の徳川和子は、徳川2代将軍・秀忠の娘。

・859年ぶりの女帝であった。
(奈良時代の48代・称徳天皇(位764-770)以来)

・7歳で即位したため、後水尾上皇が実権を握る。

・母が徳川家ということもあり、徳川幕府との関係は安定し、穏やかなものであった。

・明正天皇は、手芸を好み、押し絵の作品が由緒の寺に伝わる。

・諡号は、奈良時代の女性天皇である43代 元明天皇の「明」と、44代 元正天皇の「正」を取って「明正」天皇となった。

108代 後水尾(ごみずのお)天皇(位1611-1629)

108代 後水尾(ごみずのお)天皇

生没 1596年~1680年(享年85)
在位 1611年(16歳)~1629年(34歳)

江戸時代

・徳川幕府の後押しで即位。

・「禁中並公家諸法度」(1615年)が制定され、幕府の厳しい監視下におかれる。元号の制定など朝廷固有の機能にも幕府の統制が及ぶようになる。

・父・107代後陽成天皇と同じく、江戸幕府に抵抗した。

・江戸幕府・2代将軍・徳川秀忠と江(ごう)(於江与/おえよ)との娘、徳川和子(まさこ)が入内する。(家康が考案。徳川家は全国支配を盤石にするため天皇家の権威が欲しかった。)

・「紫衣(しえ)事件」や、春日局の拝謁などをきっかけに、幕府との関係が悪化。後水尾天皇は独断で109代 明正天皇に譲位を強行した。

(※紫衣事件(1627年):天皇の特権であった紫衣の授与を、幕府が無効にした事件。)

後水尾天皇は、無位無冠の春日局(3代将軍 家光の乳母)に拝謁させられたのが屈辱的であったという。

 

107代 後陽成(ごようぜい)天皇(位1586-1611)

107代 後陽成(ごようぜい)天皇

生没 1571年~1617年(享年47)
在位 1586年(16歳)~1611年(47歳)

安土桃山時代

・祖父・106代正親町天皇から譲位を受けて16歳で即位。後ろ盾となったのが天皇の権威を求めていた豊臣秀吉だった。

・秀吉は聚楽第を営み、後陽成天皇の行幸を仰いだ。

・秀吉は猶子(養子)の、近衛前子(このえさきこ)を養女として入内させて、後陽成天皇の外戚になり、財政面で手厚く保護した。

・次に天下を平定した江戸幕府・初代将軍・徳川家康は朝廷に干渉し始める。後陽成天皇とは確執があったという。

・後陽成天皇は深く学問を好み『伊勢物語』や『源氏物語』などを講義し、和漢の古典を木製活字で印刷発行した。(慶長勅版本)